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林田力hayariki.net:大河ドラマ「天地人」

大河ドラマ「天地人」義のために悩みながら生きた武将

2009年のNHK大河ドラマ「天地人」の初回「五歳の家臣」が2008年1月4日に放送された。「天地人」は戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将・直江兼続を描く。記者はドラマの原作を読み、書評記事を発表している(「【読書の秋】執着心のなさと悔恨『天地人』」)。
そこでは義や愛を掲げた兼続の思いを評価しながらも、思いと結果にはギャップがあり、スッキリしない面があるとの感想を記した。このため、matthew氏から「大河ドラマを是が非でも見なければならないとする気持ちに冷水を掛ける」とのコメントが寄せられた。
そこで実際の大河ドラマが問題となるが、中々の出来栄えであった。初回放送は天下人・豊臣秀吉(笹野高史)の謁見のシーンから始まる。秀吉は兼続(妻夫木聡)を直臣にしようとして金で懐柔したり、刀で脅したりするが、兼続は「主君は上杉景勝ただ一人」と応じない。義を貫いた武将としての面目躍如となるシーンである。
一方で謁見から退出した後には、天下への夢に使うために「金をもらっておけばよかった」と呟いている。迷うことなく義を貫き通した武将というよりも、義を貫くために悩みながら生きた武将というイメージが近い。妻夫木聡の武将姿には頼りなさもあるが、むしろ悩みぬく存在と考えれば好キャストである。
第1回放送では兼続の幼少期が中心である。幼少期の兼続である樋口与六(加藤清史郎役)が両親に愛されて育ったことが描かれる。父親の惣右衛門(高嶋政伸)は算勘の才に秀でた薪炭奉行であり、武士としては異色の存在である。与六にも「一生懸命働くものは侍も百姓も同じだ」と諭している。兼続は豊臣政権においては文治派の石田三成と友情を結び、江戸時代になっては産業振興で米沢藩の財政の礎を築いた。この兼続のバックボーンは父親譲りであることが理解できる。
一方、後には「唯一の主君」と大見得を切る喜平次(景勝の幼名:溝口琢矢)との絆はまだ描かれていない。周囲の大人の思惑から与六は喜平次の小姓として出仕を求められるが、本人は家を離れたくないと駄々をこねる。しかし、本人の意思は完全に無視された状態で話は進められてしまう。幼い息子を手放しなくない母親・お藤(田中美佐子)の気持ちも丁寧に描かれるが、小姓として出仕するという結論には影響を与えない。
本人の意思に反して周囲の状況に流されてしまうという状況は、義を貫く武将として兼続を評価する上で大きな不満である。これは原作の評価を落とす点でもある。例えば原作では兼続は千利休に師事し、尊敬もしていた。しかし、秀吉と利休が反目すると、兼続は秀吉の命に従い、兵を率いて利休の屋敷を包囲した。内心では茶人に対して兵を向けることを躊躇しつつも、行動としては命令を忠実に遂行する。
秀吉の「唐入り」(朝鮮出兵)に対しても内心では「大儀なき戦」と否定的評価を下す。しかし、秀吉の命令に従い、釜山に出陣し、戦果をあげている。自らは出陣せず、秀吉を諌める側に回った徳川家康とは大違いである。家康が朝鮮出兵に消極的であった背景には、無益な戦で自己の勢力を消耗したくないという動機があった。それは精神性においては義のための戦いを追求した兼続に劣ると評価することもできる。
しかし、朝鮮に出兵しなかったことによる勢力温存は家康の天下取りに寄与することになる。さらに徳川家が朝鮮に出兵しなかったという事実は李氏朝鮮との修交にも役立った。不幸な歴史が強調されがちの日朝関係であるが、その中で江戸時代は友好関係が築かれた時代として評価されている。動機が何であれ、朝鮮出兵に対する家康の消極的姿勢は大きな意義があった。義のために生きようとしながら結果を出せない兼続よりも、むしろ家康の方が大人物と思えてしまう。
第1回放送でも与六の内心に反して、小姓として出仕することになる展開は原作の矛盾点を髣髴とさせる。そのため、「義のためとか言いつつも、状況に流されるドラマになるのか」との失望が生まれかけた。しかし、最後の与六の「わしは、こんなとこ来とうはなかった」との渾身の叫びがひっくり返してくれた。子役の迫真の演技には脱帽である。唯一の主君となる景勝との絆が、どのように育まれていくのか、続きが楽しみなドラマである。

「天地人」第2回、主君の度量

NHK大河ドラマ「天地人」第2回「泣き虫与六」が2009年1月11日に放送された。「天地人」は戦国武将・直江兼続を描くドラマである。人物紹介の側面もあった初回に対し、今回は与六(後の兼続)と喜平次(後の上杉景勝)の絆が描かれる。後年の上杉景勝と直江兼続主従の強固な信頼関係が納得できる描かれ方になっている。
上杉景勝と直江兼続主従と言えば兼続の才覚に着目されることが多い。「天地人」自体、兼続が主人公である。兼続の影に隠れてしまい、景勝自身の武将としての評価はそれほど高くない。しかし、有能な家老に多くを任せつつ、主君としての威厳を保つことは並みの凡将にできることではない。この回での喜平次はリーダーとしての資質の片鱗を見せている。
与六(加藤清史郎)は本人の意思に反して、喜平次(溝口琢矢)の小姓として越後上田庄の寺・雲洞庵で修業することになる。しかし、ホームシックにかかった与六は雲洞庵を抜け出し、実家に帰ってしまう。視聴者は与六に感情移入して観ている。それ故に与六の寂しさや家族恋しさは共感できる。与六が雲洞庵を抜け出すという行動に出たことも理解できる。むしろ、「わしは、こんなとこ来とうはなかった」とまで叫んだにも関わらず、新しい環境に順応してしまったのでは却って興醒めしてしまう。
一方、喜平次の立場で考えるならば、与六の抜け出しは主君への裏切りと捉えることも可能であった。無断で抜け出した与六に対して厳しい姿勢で臨むという選択肢もあった。しかし、喜平次は与六を追って、率直な胸のうちを吐露する。ここは感動的なシーンに仕上がっている。
主君が主君としての度量を見せたからこそ、家臣も忠義を尽くすことができる。最初に上に立つ人が示さなければならないのである。翻って現代日本では上に立つ人が範を示せているであろうか。例えば景気悪化で派遣切りに走るような企業の経営者を尊敬できるであろうか。上杉家は関が原後に会津120万石から米沢30万石に減封されたが、家臣を召し放つことはなかったという。大河ドラマ「天地人」は本格的な時代劇の趣でありながら、現代的な問題を提起する作品としても期待できそうである。

「天地人」第3回、ラブコメと戦国ドラマ

NHK大河ドラマ「天地人」第3回「殿の初恋」が2009年1月18日に放送された。「天地人」は戦国武将・直江兼続を描くドラマである。第2回までは子役(加藤清史郎)が中心であったが、この回からは妻夫木聡がメインとなる。
この回はサブタイトル「殿の初恋」が示すとおり、伝統的な大河ドラマには似つかわしくないラブコメ調である。民放の恋愛ドラマで活躍するキャストを揃えただけのことはある。
直江兼続と言えば切れ者というイメージがある。また、その主君である上杉景勝も無口ながら謹厳実直で威厳があるという印象である。両者共に老成した重々しいイメージである。ところが、この回の主従はコミカルで軽い。兼続(与六)は景勝(北村一輝)のためを思って色々と画策するが、全て空回りしてしまう。活躍は場を白けさせた景勝のために田舎踊りを陽気に踊って雰囲気を和ませたことくらいだが、これも智将のイメージとは異なる。
景勝も上杉謙信の別の養子・景虎(玉山鉄二)と比較される冴えない男という設定であった。また、兼続の尻を叩こうとするようなどお茶目な一面も見せている。主従に対する印象が大きく変わる回であった。大人物に成長していく主従を観ていくのが楽しみである。
前2回が泣ける話として感動的にまとめられたのに対し、今回はて笑えるシーンが多かった。また、景勝のシャイぶりに観ていて恥ずかしくなるほどであった。今回登場したヒロイン・お船(常盤貴子)と兼続が結婚するのは御館の乱後で、まだ先である。しばらくはラブコメ調が楽しめそうである。
今回は恋愛要素が強い一方で、戦国大河ドラマとしての要素も健在である。戦国武将を演じる俳優の雰囲気が歴史の教科書に登場する戦国武将の絵と非常に合っている。吉川晃司演じる織田信長は長興寺(豊田市)所蔵の紙本著色織田信長像(狩野元秀作)にそっくりである。
また、阿部寛演じる上杉謙信も熱演している。初回で登場した景虎時代の謙信は目が凛々と輝く豪傑風であった。史実の謙信は家臣同士の争いに嫌気をさして高野山に入ってしまうような繊細なところもあった。阿部謙信からは、そのような弱さは感じられない。一方で今回は法体姿で登場した。この姿は上杉神社(米沢市)所蔵の上杉謙信公像に似ている。阿部謙信は他者から観た謙信の再現と言える。
視聴率が好調と報道されている「天地人」はラブコメとシリアスな時代劇が同居する大河ドラマとして幅広い層に支持されそうである。

「天地人」第4回、上杉景虎の孤独と安らぎ

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第4回「年上の女(ひと)」が2009年1月25日に放送された。前回の「殿の初恋」に続き、大河ドラマらしからぬサブタイトルである。
景勝は前回から引き続き恋する男子である。初恋相手のお船(常盤貴子)の前で必死に冷静さを装う姿が見ていて恥ずかしくなるほどである。そのお船は実は兼続に気がある様子だが、鈍感な兼続は気がつかない。鈍感さに苛立つお船は会えば兼続に憎まれ口を叩いてしまう。ニヤニヤしたりドキドキしたりする青春ドラマになっている。
今回は上杉景虎(玉山鉄二)と華姫(相武紗季)の婚儀が行われる。北条氏康の七男として生まれながら、景虎は親からは大事にされず、寺に入れられるか、他家に養子に出されるかであった。華姫との婚儀によってようやく安らぎを得た思いになる。景虎を慕う華姫は、「常に景虎様の妻でいる」と約束する。微笑ましい夫婦であるが、はらりと花が散る演出が二人の未来を暗示していて切なくなる。
景虎は上杉謙信(阿部寛)の死後、御館の乱で上杉景勝(北村一輝)・兼続(妻夫木聡)と対決することになる。物語前半の敵役となる存在だが、この作品では実家の北条家からも大切にされず養子に出された景虎の孤独な心情を吐露している。
兼続を主人公として盛り上げるならば、上杉家乗っ取りを企む悪漢として景虎を描くこともできた。その種の単純な善悪二元論にしないことで物語の奥行きは深まる。昨年の大河ドラマ「篤姫」の小松帯刀と同様、歴史に埋もれた人物に光を当てる姿勢は高く評価する。
一方、御館の乱は景勝側の先制攻撃であった。景虎が悪玉でないならば先制攻撃には大義名分が見付かりにくい。義のために生きた兼続の生涯を描くドラマにおいて、どのように御館の乱を正当化するのかという点にも注目したい。
後半になると時代の動きを感じさせる展開になった。織田信長(吉川晃司)はますます凄みを出している。そして兼続は「信長という男を見てみたいのです」と信長への使者を申し出る。智将・兼続らしい好奇心である。無鉄砲にも見える兼続を「自分のできないことをやっている」と評価する景勝もいい。主従の強固な信頼関係を示している。
次回はいよいと兼続が信長と対面する。作品タイトルの「天地人」は事を成就するために必要な「天の時、地の利、人の和」を意味する。ドラマ内で天地人の意味を解説したのは信長であった。その意味で信長は兼続に大きな影響を与える存在になるのではないかと推測する。戦国時代劇的な展開になると思われる来週の放送が楽しみである。

「天地人」第5回、義とは何か

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第5回「信長は鬼か」が2009年1月31日に放送された。今回は前回までの青春ドラマとは大きく雰囲気が変わった。兼続は義のために戦った武将とされ、義は本作品のテーマになっている。しかし、何が義であるかは簡単ではない。今回は、その難しい問題に取り組んでいる。
兼続(妻夫木聡)は織田信長(吉川晃司)に謁見し、義の精神をぶつける。しかし、信長は義を戦の口実に過ぎないと一蹴する。これは義のために戦う上杉謙信(阿部寛)と義を否定する信長という対比になりやすい。しかし、そのような安直な二元論にしないことが本作品の奥深いところである。
兼続と信長のシーンは迫力満点であった。鬼気迫る信長に兼継はたじろぐ。それでも自らの思いを少しでも伝えようとする意志の強さがある。唇がワナワナと震える兼継には、真に迫るものがあった。そして信長と言葉をぶつけることで、兼続は信長を単に破壊し尽くすだけの存在ではなく、天下平定という義が存在するのではないか、と考えるに至る。
兼続と言えば次の天下人となることが確実と思われた徳川家康に喧嘩を売った男として歴史に名を残している。しかし、豊臣秀吉には早くから臣従し、関が原の戦い後は徳川家重臣・本多正信の息子・本多政重を養子に迎えるなど江戸幕府にも低姿勢を示した。兼続は無闇に権力者に逆らったのではなく、時代の流れを見る目を有していた人物である。
一方、謙信の義も悪逆な信長を討つというような短絡的なものではなく、戦による民草の苦しみを考えて悩むストイックなものであった。ここには民生を重視する温かみのある為政者の精神がある。兼続の兜の前立ての文字「愛」について原作の「天地人」では仁愛と解釈するが、謙信の精神とつながるところがある。
今回は信長と謙信を交互に映し出す演出をしており、それぞれの義を持つ両雄と位置付けている。その謙信と信長の軍勢が次回戦うことになる。この戦いは兼続の初陣でもある。このドラマでは兼続は完全無欠の人格者ではなく、泣き虫と呼ばれながらも成長していく存在である。初陣を経た兼続が武将としてどのように成長するのかに期待したい。

「天地人」第6回、敵を斬らずに味方を斬る

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第6回「いざ、初陣」が2009年2月8日に放送された。今回の放送では上杉謙信(阿部寛)が織田信長(吉川晃司)を討つために越中に侵攻した。この戦いは兼続(妻夫木聡)の初陣でもあった。映画監督の三池崇史が上杉景虎(玉山鉄二)の家臣・刈安兵庫役で出演する点も注目される。
初陣に張り切る兼続であったが、命乞いをする若い兵士を斬れず、逃がしてしまう。その後も戦で活躍することはなかった。今回の放送ではスポットライトを多用した演劇風の演出も特徴である。これは人殺しに葛藤する兼続の心象風景をイメージしているようで興味深い。
人殺しを嫌がる主人公は、敵兵を殺すのが当然の戦国時代劇において異色である。直近の戦国大河ドラマ「風林火山」(2007年放送)では戦によって村が略奪され、山本勘助の妻・ミツが武田信虎に惨殺されるなど、戦国時代の不条理を直視していた。それに比べると今回の兼続は殺さなければ自分が殺されるという極限状況を無視している。戦国時代劇としてのリアリティに欠けると批判する向きもあるだろう。
しかし、兼続は決して単なる腰抜けではない。「あの者に母がいると思うと、斬れなかった」と敵兵を逃がしてしまう兼続であったが、上杉景勝(北村一輝)を侮辱した景虎の家臣には斬りかかる。人間には絶対に許せないものがある。それは天下国家というような抽象的なものに対してよりも、自分の身近な物事に対する方が多い。
決して私憤は公憤よりも低レベルであることを意味しない。むしろ往々にして私憤は公憤よりも大きな力を発揮する。暴虐な織田信長を討つという大義名分では人殺しをする気になれなくても、敬愛する主君が侮辱されれば友軍兵士だろうと容赦しない。
記者は東急不動産(販売代理:東急リバブル)から不利益事実(隣地建て替えなど)を説明されずに新築マンションを購入した。真相発覚後の東急リバブル及び東急不動産の対応は不誠実極まりないものであった。当然のことながら記者は激しく怒った。その怒りが売買代金返還請求の裁判を進める原動力となった。それ故に兼続の思いにも共感できる。敵兵は斬れなくても味方は斬れる兼続の行動にも納得できる。
「天地人」は戦国時代劇であるが、現代社会への問いかけという側面が強い。これは企画意図の「「利」を求める戦国時代において、「愛」を信じた兼続の生き様は、弱者を切り捨て、利益追求に邁進する現代人に鮮烈な印象を与えます」が示している。
日本では十五年戦争時に国家のために命を捨てることが当然視されたように、社会が困難に直面すると弱者の犠牲と忍耐によって克服しようとする傾向がある。派遣切りは、その典型である。私憤で味方に斬りかかるが、公憤で敵兵を斬ることができない兼続は、そのような日本社会の愚かしさを風刺しているようで意味深長である。現代人以上に現代人的な理性を有している兼続を応援していきたい。

「天地人」第7回、「母の願い」、兼続の成長

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第7回「母の願い」が2009年2月15日に放送された。今回は上杉謙信(阿部寛)に蟄居を命じられた兼続(妻夫木聡)が内面を見つめ直し、母・お藤(田中美佐子)の死を契機として悟りの境地に至るまでの成長過程を大胆に描く。
「天地人」の魅力は役者が実力派ぞろいであることである。兼続は迷いや葛藤から晴れやかな決意への転換を表情で上手に表現する。大河ドラマ主演俳優としての実力を出している。お藤は子を思う親心を丁寧に表現し、涙を誘う。そして直江景綱(宍戸錠)は武士としての覚悟をベテランの迫力ある演技で示した。
今回も前回に引き続き二重写しとスポットライトという大河ドラマらしからぬ演出がなされた。前回の二重写しは忍び・初音(長澤まさみ)の登場シーンで使われた。初音は、ただでさえ漫画的な架空人物である。その登場シーンに二重写しという非現実的な演出がなされたために戦国時代劇としてのリアリティを重視する向きには不評であった。それに対し、今回は夢の中で兼続の不安を演出するために使われており、現実世界とは区別されるため、上手い使い方である。
スポットライトも母の霊と語る場面で使われたため、非現実性を出す演出として適している。但し、母の霊との会話の後で、お船(常盤貴子)が登場してもスポットライトの演出は続いた。ここは現実に引き戻されたという意味でスポットライトを止めて背景を映しても良かったのではないかと考える。一方で、お船は今後の兼続にとって母に代わる存在と位置付けるならば、スポットライトの演出のままで、お船を登場させる意味がある。
兼続の決意には惚れ惚れするが、お船の「そなたを婿にしていたのにのう」との告白は早過ぎる。これでは祝言をあげたばかりの夫・直江信綱(山下真司)の立場がない。お船に未だ初恋中の上杉景勝(北村一輝)の立場もない。折角、信綱と対面した景勝が複雑な表情を見せる面白いシーンを挿入しているのに、お船と兼続が結ばれることが見え見えのフラグを出してしまうのはもったいない。まだまだ恋の鞘当てで盛り上げて欲しい気持ちがある。
今回は兼続の成長過程を中心としたため、歴史的事件の説明は最小限にとどまった。主人公は上杉謙信でも上杉家でもなく、兼続であることを再確認させる放送であった。戦場での経験を重ねることで武将として成長するのではなく、蟄居を命じられて寺に篭ることで人間的な成長をするという発想は近代的で興味深い。
今回の内面的な成長によって、次回からは泣き虫・与六ではなく歴史的人物として知っている智将・兼続が登場しそうである。人間として大きくなった今後の兼続の活躍が楽しみである。
また、弟の与七(小泉孝太郎)も母の見舞いに遅れた兼続を責めるなど存在感を増した。理知的な兄と直情的な弟という組み合わせは1991年放送の大河ドラマ『太平記』の足利尊氏・直義兄弟を髣髴とさせる。協力し合いながらも最後には離反するという展開も類似する。兄弟の絆や愛憎についても注目していきたい。

「天地人」第8回、「謙信の遺言」義の気高さ

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第8回「謙信の遺言」が2009年2月22日に放送された。上杉謙信(阿部寛)の義の精神の気高さが感じられた回であった。
この回では大きな歴史的事件として上杉軍が柴田勝家(菅田俊)率いる織田軍を破った手取川の合戦がある。上杉謙信の晴れ舞台であるが、ドラマでは兼続(妻夫木聡)は蟄居中で、合戦の模様は事後的に初音(長澤まさみ)の口から説明された形になった。そのため、迫力のある合戦シーンを観られなかったという点は物足りない。兼続の乗馬シーンすら馬は映らず、音だけである。しかも弟の与七(小泉孝太郎)との二人乗りである。スタジオ内での撮影ばかりという巣ごもり時代劇は、ある意味、不況時代に相応しい。
しかし、「天地人」が低予算で制作されているとしても、質の低下を意味しない。アメリカの投資家・ウォーレン・バフェットは以下のように述べている。「面白いことに、優れた番組というのは、粗末な番組とさほど変わらない予算でできるんですよ」(ジャネット・ロウ著、平野誠一訳『新版バフェットの投資原則』ダイヤモンド社、2008年、65頁)。
制作側としては派手な合戦を撮るために金にあかせてセットやエキストラを用意することよりも、伝えたいメッセージがあるものと考える。それは人の熱い思いである。前年の大河ドラマ「篤姫」が時代劇という設定のホームドラマならば、「天地人」は熱い青春ドラマである。これまでのところ、「天地人」は視聴者の胸を熱くさせることに成功している。
謙信は天下を取るよりも大切なこととして、「利を得るより気高いものがあることを世に知らしめる」と語る。記者は東急不動産(販売代理:東急リバブル)から不利益事実(隣地建て替え)を説明されずにマンションを購入したため、裁判によって売買代金を取り戻した。記者にとって裁判闘争は騙し売り被害の補填が目的ではなかった。
まさに金儲け第一という業者の価値観に対し、利を得るより気高いものがあることを悪徳業者に知らしめるための消費者の尊厳をかけた闘いであった。それ故に謙信の気高き精神は現代を生きる記者の胸にも強く響いた。
そして謙信は兼続に、兼続こそ自分の唯一の弟子であると告げる。史実は異なるかもしれないが、物語上は兼続が謙信の美学を自分のものとしていったと納得できる流れになっている。戦で人を斬れなかった軟弱者の兼続が、迷いながらも天下の不義を斬るような活躍を期待したい。

「天地人」第9回、「謙信死す」、嘘の遺言

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第9回「謙信死す」が2009年3月1日に放送された。サブタイトルのとおり、この回で上杉謙信(阿部寛)が死去し、支柱を失った上杉家は跡目をめぐって家臣団が分裂する。
合戦や乗馬シーンの演出に疑問符の付く本作品であるが、今回は屋内での人間ドラマがメインであるため、大河ドラマらしい緊張感のある内容であった。謙信は眼をカッと見開くなど最後まで迫真の演技を見せた。しかし、その翌日には家臣が景虎(玉山鉄二)派と景勝(北村一輝)派に分かれて言い争いが始まっている。現代の組織にも通じるワンマン体制の脆さを物語っている。
謙信の掲げる義の精神の下で一つにまとまっていた上杉家であったが、景虎派と景勝派に対立する理由は非常に分かりやすい。景虎派である謙信譜代の家臣にとっては謙信と対立したこともある長尾政景の息子・景勝が家督を継ぐことは面白くない。景勝が家督を継ぐことで景虎譜代の家臣である上田衆の発言権が大きくなることも面白くない。一方、景勝派の上田衆にとっては自分達が仕えてきた景勝に主君にしたい上、敵対した北条氏の出である景虎が家督を継ぐことは受け入れがたい。
これまでのドラマでは兼続(妻夫木聡)の敵役になるべき景虎も善人として描かれてきた。このため、御館の乱で景勝と景虎が戦う展開が想像つきにくかったが、周囲の家臣達の対立に巻き込まれる形になりそうである。結局のところ、家督争いは派閥争いであり、それぞれの派の利益を追求しているに過ぎない。どちらが義であるかという問題ではない。
兼続も謙信の死後に最初にしたことは、謙信が「家督は景勝に」と遺言したとの嘘をつき通すことであった。上杉家の混乱を避けるためという理屈を付けているが、だまされる側の立場を無視している。だまされた側もだまされたままでいる方が無用な争いにならず幸せという論理は詐欺師や悪徳業者の発想である。東急不動産(販売代理:東急リバブル)から不利益事実を説明されずに問題物件をだまし売りされた被害経験のある記者にとって特に許せない発想である。
景虎側だけでなく、ある意味では景勝本人も嘘の遺言の被害者である。景勝は幼少時に謙信に言われた「ともに良き国をつくっていこう」という言葉を思い返して、すっかり家督を継ぐ気になっている。この能天気さは哀れである。
御館の乱は景勝側に絶対の正義がある訳ではない。権力奪取のための戦いであった。嘘の遺言を出しても内乱は防げず、景虎も妻も子どもも全員死亡という凄惨な結果になった。上杉家の国力を損なった御館の乱であるが、主君の主君である上杉家全体よりも自らの上田衆と直接の主君である景勝の立場を優先させることは戦国時代の価値観に合致する。義をテーマとして掲げるドラマであるが、主人公だからといって兼続を変に美化していない点は評価できる。前半の山場である御館の乱に向けて迫力ある展開を期待したい。

「天地人」第10回、「二人の養子」、日本人の汚さ

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第10回「二人の養子」が2009年3月8日に放送された。今回は前半のクライマックス・御舘の乱の前夜を描く。久しぶりに戦国時代劇らしいハラハラドキドキする展開であった。
「天地人」は企画意図として「失われつつある「日本人の義と愛」を描き出します」を標榜しているが、今回は日本人の汚さや身勝手さを体現していた。景勝(北村一輝)と景虎(玉山鉄二)は同じ上杉謙信の養子として相手を信じたいという思いがある。しかし、各々の家臣の勝手な行動が相手の不信感を高め、景勝派と景虎派は、抜き差しならない関係になってしまう。
景勝も景虎も謙信の養子として恥ずかしくない生き方をしようとする思いを受け止めてくれる家臣に恵まれておらず、家臣達は自派の伸張しか念頭にない。景勝派の優勢で展開するが、景勝派に正義があるわけではない。景勝派は謙信の遺言を捏造した上に武力で春日山城本丸を占拠しており、御館の乱は景勝を主君にするための上田衆によるクーデターにほかならない。
景勝派と景虎派の相違は正義ではなく、覚悟の差である。景虎派の家臣・遠山康光(螢雪次朗)は腹黒さを出しているが、結果面では景勝派の後手に回っている。これに対して、兼続の父・樋口惣右衛門(高嶋政伸)は景勝の意に反しても本丸の占拠を強行する。康光も惣右衛門も自派の正義を貫くという点で一貫している。
これに対して、煮え切らないのは兼続(妻夫木聡)である。自らの言葉が景虎の自尊心を傷つけ、対立を深める一因になった。また、父の指示に従って本丸を占拠しており、景虎派との対立を決定的にしている。それにもかかわらず、「これ以上、春日山を血で汚したくない」と歯の浮くような綺麗事を言う。
一方的に相手を攻撃した以上、相手が反撃してくるのは当然である。しかし、兼続は相手に殴りかかったにもかかわらず、自分が殴られる覚悟はできていない。このような病的な自己中心性は、むしろ現代の日本人に多く感じてしまう。
兼続のカッコ悪さは戦い方にも表れている。本丸の占拠では景虎の兵と戦闘になる。上田衆は1対1では景虎の家臣・刈安兵庫(三池崇史)に圧倒されたが、集団で相手の体を抑えて崖から突き落としてしまう。一人では何もできないのに集団になるとホームレス襲撃のような陰惨な暴力事件を起こす現代日本の社会病理を連想させる。
老子には「大道廃れて仁義有り」という言葉がある。「日本人の義と愛」をドラマで強調するためには、まずドラマで日本人の醜さを前面に出さなければならないのかもしれない。遺言の捏造は妙椿尼(萬田久子)、本丸の金蔵接収は惣右衛門のアイデアで、現時点の兼続には狡知に長けた軍師らしさもない。行動面では彼らの路線に乗っかっているだけである。それにもかかわらず矛盾した綺麗事を言う感情移入しにくいキャラクターである。この兼続が凄惨な御館の乱を経ることで、どのように変貌するのか、若しくは青臭いままなのかに注目したい。

「天地人」第11回、「御館の乱」、義を貫く華姫

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第11回「御館の乱」が2009年3月15日に放送された。今回から上杉謙信の跡目をめぐり景勝(北村一輝)派と景虎(玉山鉄二)派が激突する御館の乱になる。
前回から引き続き兼続(妻夫木聡)は自己中心的である。謙信の遺言が偽りであることを知っていながら、あくまで偽りの遺言を根拠として景虎には景勝への服従を求め、景勝には家督相続の正当性を主張する。謙信が草葉の陰で悲しむとしたら、遺言を捏造してまで家督を継ごうとする景勝派の浅ましさである。
封建社会の武士にとって忠義の対象は直接の主君であって、主君の主君は主君ではなかった。この価値観に従えば上田衆にとって忠義の対象は景勝一人であり、越後上杉家が分裂しようと国力が消耗しようと関係ないことになる。それ故、上田衆が景虎を排除してでも上田長尾家の当主である景勝に家督を継がせようとすること自体は戦国時代のリアリティを追求したものである。それが彼らにとっての義になる。
もし、兼続が上田衆としての立場を徹底するならば、筋は通っている。ところが、本作品の兼続は戦争の原因となるような言動をしておきながら、内紛に心を痛めるという「いい人」を演じている。上田衆によるクーデターを進めた兼続がソフトランディングを希求すること自体がおこがましい。
天地人は「日本人の義と愛」を描くことを企画意図としているという。ところが現在の兼続には自国がアジアを侵略していたにもかかわらず、それを批判する国際社会の圧力をABCD包囲網と呼んで自国が攻撃されているかのように被害妄想を抱き、十五年戦争を自衛のための戦争と正当化した醜い日本人を連想させる。
矛盾した兼続とは対照的に好演していたのが景虎とその妻の華姫(相武紗季)である。春日山城本丸を武力で占拠した上田衆に対し、景虎が怒ることは当然である。謙信の遺言が景勝派の捏造であることを知っている視聴者から見れば、景虎はもっと怒ってもよいくらいである。
先週から裏切られ続けた景虎は心が荒み、悪鬼のような形相になっていた。三国一の美男子と称されて登場していた頃とは別人のような変わりようである。その景虎が華姫の熱意によって優しさを取り戻す。悲劇の武将である景虎の心が少しは救われたようで感動的なシーンであった。封建社会の忠義が直接の主君に対するものであることを踏まえれば、兄と夫が争うという複雑な状況において迷うことなく夫についていく華姫こそ今回の放送で義を貫いた人物である。

「天地人」第12回、「命がけの使者」、ヒールとなった景虎

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第12回「命がけの使者」が2009年3月22日に放送された。御館の乱で景勝(北村一輝)派は春日山城本丸を先制して占拠したものの、兵糧攻めにあってしまう。今回は城内の兵糧が尽きかけていたところから始まる。
今回の特色は景虎(玉山鉄二)が悪役らしくなったことである。元々、本作品では御館の乱の原因は景勝派である。景勝派は上杉謙信の遺言を捏造し、景虎(玉山鉄二)の信頼を裏切る形で本丸を占拠した。景虎の方が被害者であり、これまでは主人公の兼続(妻夫木聡)の活躍にも素直に感情移入できなかった。
しかし、今回は景虎が他国(北条や武田)の援軍を越後に呼び込もうとしているため、景勝派には「越後を守る」という大義名分ができてしまった。但し、国内の内戦に他国の軍勢を呼び込むことを売国的とする発想ことは国民国家成立以後のものである。他国から正当な家督の継承者と承認されることは家督継承者にとって重要なことである上、他国の軍勢を使ってでも反乱を早く鎮圧すれば流される血が少なくて済むという考えも成り立つ。
そもそも上杉謙信自体が他国で行われている不義を糺すために何度も関東や信濃に攻め込んでいる。景勝を家督の簒奪者とする立場に立てば、北条や武田が景虎に援軍を出すことは義である。加えて織田信長という共通の敵を有することを踏まえれば、北条や武田を必要以上に敵視する景勝派の国際感覚は粗末である。
戦国時代の価値観からすると景虎は決して悪ではないが、ドラマではヒールとして上手に描き出した。春日山城の兵糧攻めが上手くいっている段階では、景虎は北条氏政の援軍に対して越後へ領土的野心が目的と喝破していた。ところが、兵糧攻めが失敗に終わると、景勝の出身地である上田庄が北条勢に蹂躙されることを喜ぶ発言をする。
兵糧が尽きて追い詰められた状態において、義を根拠として丸腰で桑取衆に助勢を求めた兼続と、兵糧攻めが失敗した途端に敵の不幸を期待する景虎では人間の器が対照的である。仙桃院(高島礼子)による「一国を統べる器と一武将としての才覚は別」という発言も納得できる内容になっている。
悪役らしくなった景虎と反比例して、兼続は主人公らしい活躍を見せる。最初は敵意を丸出しにしていた人々が主人公の誠意・人柄に惹きつけられて味方になるという展開は大河ドラマの王道である。但し、話が上手くでき過ぎている上、どちらに付くかで一族の命運が定まるのに情だけで動かされるところにはフィクションであることを感じてしまう。
また、兼続が「上杉の侍としての義はないのか」と桑取衆を怒鳴りつけるシーンがある。義に生きた武将・直江兼続の面目躍如となるシーンであるが、遺言の捏造という真実を隠して、相手に義を求めるのはいただけない。ここには都合の悪い事実からは目をそらして、都合の良い事実だけから再構成する日本人の醜さが感じられる。
今のままでは豊臣家から天下を簒奪した徳川家康を景勝・兼続主従が何故非難できるのか不思議である。義の武将として描くからには、その場しのぎの義だけでなく、自らを内省させるような強烈な義を期待したい。

「天地人」第13回、「潜入!武田の陣」、景虎夫妻の清冽さ

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第13回「潜入!武田の陣」が2009年3月29日に放送された。前回から引き続き景勝(北村一輝)派と景虎(玉山鉄二)派が争う御館の乱である。兼続(妻夫木聡)の活躍によって兵糧攻めの窮地を脱した景勝派であったが、一難去ってまた一難で景虎に加勢する武田の大軍が迫っていた。
戦国武将の生き残りをかけた戦いという点では今回の放送は純粋に楽しめた。兼続は状況を打開するために武田と和睦するというウルトラCの奇策を考え付く。長年の宿敵である武田との和睦は重臣だけでなく景勝も反発するが、兼続は「越後を守るため」と押し通す。
兼続は常人では思いつかない解決策を出すだけでない。交渉者としても秀でている。武田勢を率いる高坂弾正(大出俊)との交渉では武田の脅威である織田信長を引き合いに出し、手取川の戦いで織田勢を退けた上杉と同盟することのメリットをアピールする。智将としての面目躍如となる活躍である。
一方で義に生きた武将という観点では、やはりしっくりこないところがある。兼続は和睦の条件として信濃や上野の上杉領を武田に差し出すこととした。優勢な武田勢を前にした現実的な解決策であるが、景勝や重臣が反発するのは当然である。
前回は景虎が他国(北条や武田)の軍勢に頼ったために、景勝側には景虎側と戦う大義名分ができた。ところが、兼続は信濃や上野にある領地を戦わずして諦めてしまう。景勝派の方が売国的である。「越後を守るため」という名目であるが、「越後以外の領地は、どうなってもいいのか」ということになる。
歴史的事実として御館の乱によって、関東に覇を唱えた関東管領・上杉家の威信は失墜し、越後を中心とした地方大名に転落した。その後の景勝・兼続主従の行動も地方の有力大名としてのものにとどまり、天下を左右するものではなかった。それ故に越後を守るために他の領地を切り捨てるという地方大名的発想はリアリティがある。しかし、これは太平洋戦争で沖縄を捨て石にした軍部に通じる発想である。この点でも日本人の義の精神よりも醜さを感じてしまう。
義の観点ではしっくりこない兼続とは対照的に景虎の描き方に番組の良心を感じた。本作品における御館の乱の原因は景勝派が遺言を捏造したことである。この虚偽に景勝派が頬かむりしている限り、視聴者としては景勝を心から応援することができない。
今回、景虎は「まやかしの遺言」と発言しており、遺言の虚偽を問題視している。過去を水に流してしまい目の前の問題を解決することばかりを優先する傾向が強い日本人にとって、根本原因を忘れずに立ち戻ることは非常に重要なことである。
また、景虎の妻である華姫(相武紗季)は景勝が春日山城本丸を占拠することで景虎を裏切ったと非難し、自分は最後まで夫についていくと言い切る。華姫の迷いのなさは景勝派の主要人物である、お船(常盤貴子)とは対照的である。お船は夫がいながら兼続への思いを捨てきれないでいる。
前回の放送で少し悪役らしくなった景虎であるが、今回は感情移入の対象に戻ってしまった。景虎夫妻の清冽さこそ番組のテーマとする義ではないかと思えてくる。史実は変えることができないとしても、兼続が御館の乱の悲劇を忘れず、人間的な幅を広げることを期待したい。

「天地人」第14回、「黄金の盟約」、言葉で勝頼の心を動かす兼続

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第14回「黄金の盟約」が2009年4月5日に放送された。前回から引き続き景勝(北村一輝)派と景虎(玉山鉄二)派が争う御館の乱である。
史実では武田の大軍に追い詰められた景勝派は莫大な黄金による買収で武田との和睦に成功した。今回のサブタイトルは「黄金の盟約」であり、史実に沿った展開が予想されるが、買収という義と愛の武将らしからぬ行動をドラマでどのように描くかが注目された。
ドラマは回を重ねるにつれてパターン化されてきた。窮地に追い込まれた景勝派を救うために兼続は突飛な解決策を発案する。しかし兼続の解決策が突飛過ぎて最初は頭ごなしに否定される。しかし、最後には兼続の熱意が実り、景勝の許しが出ることになる。
問題は景勝の許しが出るまでが長いことである。例えば武田との和睦交渉で一番の難所は交渉そのものをまとめることである。ところがドラマでは「武田との交渉自体をけしからん」と考える景勝の許しを得ることの方が大変である。このため、景勝の許しが得られれば半分以上解決したような感覚になり、相対的に交渉そのものは軽くなってしまう。
兼続の苦労には社内の稟議を通すことが最初の関門になる現代日本のビジネスパーソンに近いものがある。これは決断したら即実行できる一城の主ではなく、その家臣が主人公であるという設定に起因する。
今回の放送では兼続(妻夫木聡)の人間性が見事に描かれた。武田方を黄金で買収するというアイデアに対しては景勝や重臣だけでなく、小姓仲間からさえも「上杉の侍の誇りを忘れた」と総スカンを喰らってしまう。それでも兼続は挫けない。兼続にとっては潔く散ることよりも景勝が上杉家の当主になることが重要であった。
原作では義という目標のためなら「たとえ泥水を舐めてでもしぶとく生き抜いていく」という表現があった(火坂雅志『天地人 下巻』日本放送出版協会、2006年、190頁)。ドラマのストーリーは原作からの自由度が高いものの、原作の精神を受け継いでいる。大切な物を守るために小さなプライドを犠牲にすることが義を貫くことになる。
そして今回の優れた点は単に「武田方が欲しがる黄金を出したから和睦がまとまった」という形にしていないことである。兼続の申し出に武田勝頼(市川笑也)は当初、「浅ましい」と鼻で笑う。その勝頼の心を動かしたのは黄金ではなく、兼続の言葉であった。弁説を武器とした古代中国の縦横家のような活躍である。また、「金は使い方にとって卑しいものにも尊いものにもなる」との言葉は民政家としても業績のある兼続らしい。
一方で兼続は第12回「命がけの使者」では、景虎派から金で誘われた桑取衆に対し、「上杉の侍としての誇りはないのか」と怒鳴りつけていた。これと武田を黄金で買収することは矛盾する。それでも兼続は舌先三寸なだけの策士としては描かれていない。舌先三寸の策士と見るには兼続は、あまりに一生懸命である。その時その時において兼続は正面から相手にぶつかり、それによって相手の心を動かしている。
足りないのは過去を振り返って一貫性を保っているか内省することである。そもそも嘘の遺言を正当化したことが御館の乱の発端であった。家臣団の分裂を避けるという嘘の遺言を正当化した名目も現に内乱となった以上、意味を持たない。目の前の火を消すことばかり熱心で、過去を水に流してしまう点は日本人一般の欠点とされる。この点の克服が兼続の成長にも求められる。

「天地人」第15回、「御館落城」、悲しい戦いの結末

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第15回「御館落城」が2009年4月12日に放送された。複数回に渡って繰り広げられた御館の乱の帰趨が今回遂に定まった。
御館の乱は上杉景勝(北村一輝)・兼続(妻夫木聡)主従にとって最初の大きな試練であった。不利な状況を何度も乗り越えての大逆転であった。しかし、ドラマは主人公側の勝利に酔うことなく、敗者の景虎(玉山鉄二)・華姫(相武紗季)の悲劇性をクローズアップした。
武田勝頼と同盟したことで景勝方が優勢になった状況下で、仙桃院(高島礼子)は景虎に降伏を説得する。内乱の元凶は景勝方が上杉謙信の遺言を捏造したことである。それを棚に上げて景虎に譲歩を迫る仙桃院の論理は不公正である。どうしても景虎に同情してしまう。
降伏を決意した景虎であったが、人質の証として差し出した嫡男の道満丸が殺害されてしまう。上田衆による春日山城本丸占拠から始まり、常に裏切られ続けた景虎の悲劇である。「もはや、人を信じぬく力は残っていない」との景虎の言葉が切ない。
史実では道満丸は景勝方の兵に殺されたとされるが、ドラマでは視聴者の想像に委ねている。景勝や兼続ら側近には道満丸を殺害する意図はなかった。しかし、景勝の家臣には禍根を絶つために景虎の降伏を拒否して、御館を総攻撃すべきと主張するものもいた。
一方で、景虎の重臣・遠山康光(螢雪次朗)は最後には離反し、不気味な腹黒さを出している。内乱を長引かせて北条が介入できるようにするために遠山が殺したのではないかとの想像も可能である。但し主君を捨てて逃げたというのはドラマの脚色で、史実の遠山は景虎と一緒に自害している。
いずれにしても主君の思いに反して家臣が勝手に対立を煽った結果の悲劇である。それは景虎の「悲しい戦じゃったの」との言葉に集約されている。しかし、ここでも出しゃばったのは兼続である。自害を決意した景虎の前に現れて「道満丸を殺害したのは景勝でも自分でもない」と言い訳する。
たとえ兵が勝手に行ったことでも、全軍を統率する将の責任である。下手人を探し出すこともせずに言い訳する兼続は見苦しい。兼続の言い訳は相手の気持ちを無視した自己満足に過ぎない。兼続は景虎から最後には和解できたと認めてもらいたいだけである。
記者は新築マンション購入トラブルで不動産業者と裁判で争った経験がある。裁判前や裁判中は不誠実な対応に散々苦しめられたが、売買代金を取り戻した最後になって不動産業者から「迷惑をかけた」と詫びられた腹立たしい経験がある。この経験があるために兼続の偽善には虫唾が走るし、景虎の無念には深く同情する。
虚偽の遺言や春日山城本丸の占拠など生前に欺かれ続けられただけでなく、死後も「最後は景虎も分かってくれた」と都合よく解釈されるならば、あまりにも景虎が哀れである。これまでの戦国大河ドラマとは異なり、迫力ある合戦シーンは少ないものの、戦争の不条理さを実感できた内容であった。

「天地人」第16回、「信玄の娘」、自省する景勝に好感

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第16回「信玄の娘」が2009年4月19日に放送された。今回はタイトルが示すとおり武田信玄の娘で勝頼(市川笑也)の妹・菊姫(比嘉愛未)が上杉景勝(北村一輝)に嫁ぐ。今回は景勝に心を開く菊姫や兼続(妻夫木聡)を見直す重臣達など人間ドラマが印象的な放送であった。
雪割草や熟した柿など季節の風物詩を多用し、「越後の夜明けは美しい」との台詞で菊姫が心を開いたことを象徴させるなど叙景と叙情を上手く融合させている。戦国時代劇ファンには合戦シーンが少ないことが不満の種だが、制作陣の強みは合戦シーンではないことを実感した内容である。
人物では上杉景勝の魅力が際立った。ドラマ上の景勝は上杉謙信の遺言の捏造に関係しておらず、景虎(玉山鉄二)を信じようとしており、主人公側で唯一汚れのないキャラクターである。それ故に虚偽の遺言を押し通しながら綺麗事を言う兼続や仙桃院(高島礼子)よりも感情移入しやすい存在であった。
その景勝が今回、「御館の乱の責任は自分にある」と言い切った。そして「自分に皆を納得させるだけの強さがあったら」と後悔する。史実では景虎自害の後も内乱は完全には治まらず、景勝の目の前には課題が山積みであった。そのような状況にもかかわらず、ドラマでは景勝に過去を振り返らせることで主君としての器量を描いている。
過去を大切にしない日本人は目の前の火を消すことばかりに熱心で、「if」を考えることを時間の無駄と捉える傾向がある。それは日本語に仮定法という豊かな表現が存在しないことが示している。しかし、人間は過去から学ぶ生き物である。過去を水に流してしまっては人間的な成長はあり得ない。
記者は不動産業者から不利益事実(隣地建て替え)を隠して新築マンションを騙し売りされ、裁判で売買代金を取り戻した経験がある。記者が相手の不動産業者に失望させられた点は「もし販売時に不利益事実を説明したら、トラブルになることはなかった」という反省の姿勢が見られなかったことである。この経験があるために過去を振り返って自省する景勝には好感を抱いた。
初期の放送では謙信(阿部寛)に圧倒的な存在感があったが、景勝が新たな主君として個性を出してきた。長年の宿敵である武田と縁組し、兼続を若輩者と嫌っていた重臣達も兼続の才能を認めてバックアップする側に回った。世代交代と新時代の胎動を実感した内容であった。

「天地人」第17回、「直江兼続誕生」、主役を食った景勝

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第17回「直江兼続誕生」が2009年4月26日に放送された。ようやく今回で樋口兼続がお船(常盤貴子)の夫として婿入りし、直江兼続となる。しかし、織田信長の圧迫と新発田重家の謀反という内憂外患に忙殺され、夫婦らしいシーンはなかった。家老としての威厳も多少は出てきた兼続であるが、人間的にも武将としても主役を食ったのは景勝(北村一輝)であった。
まず兼続に婿入りを命じたのは景勝であった。前回の家老就任に引き続き、決定するのは景勝であって、兼続は受け入れるだけである。まるで景勝が主人公のようなドラマになっている。
また、滅亡の淵に立たされた武田勝頼(市川笑也)への援軍を決断したのも景勝である。景勝・兼続主従を描いた作品では兼続が具申して景勝が承認するパターンに大抵なっているが、今回は景勝の発意である。謙信の継承者として義の精神を遺憾なく発揮した。2001年のNHK大河ドラマ「北条時宗」で暗殺者であった平頼綱と同じ役者とは思えないくらい真っ直ぐな青年を演じている。武田家滅亡では木曾義昌や小山田信茂、穴山梅雪らの寝返りが続出した分、上杉家の清々しさが際立った。
さらに景勝は武田家の滅亡で気落ちする菊姫(比嘉愛未)と不器用ながらも気持ちを通じ合うことができた。言葉が喉に詰まって中々出てこない景勝を観ていると、役者の北村一輝は素でも無口なのではないかと思ってしまう。しかし実際はテレビドラマ「ホカベン」では秀才弁護士、「夜王〜YAOH〜」ではホスト、「アキハバラ@DEEP」ではIT会社社長と多彩なキャラクターを演じており、優れた演技力の賜物である。
戦闘シーンが相変わらず乏しい「天地人」であるが、今回は歴史ドラマの醍醐味を味わうことができた。武田家という過去の強敵を滅ぼすことで、織田信長(吉川晃司)は天下統一に一歩近付く。ところが内部では信長の明智光秀(鶴見辰吾)への反感、光秀と徳川家康(松方弘樹)の腹の探りあいという本能寺の変への伏線が登場した。
家康が光秀を焚きつけたとの推測も楽しめそうである。史実でも家康は武田家の残党狩りをする織田勢とは対照的に武田家の遺臣を保護していた。信長後を見据えた動きをしており、本能寺の変の黒幕説もそれなりにリアリティがある。これまで戦国時代劇のリアリティの対極に位置した初音(長澤まさみ)も今回は織田方の展開と兼続を結びつける語り部として物語の中に自然に納まった。
今回は景勝が主役を食った形であるが、主人公が主君として終生仕えた人物を立派に描くことは当然である。今後は正式に直江兼続となった主人公による天下を舞台とした活躍を期待したい。

「天地人」第18回、「義の戦士たち」、徹底抗戦は美学か

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第18回「義の戦士たち」が2009年5月3日に放送された。今回は魚津城の戦いが中心である。
「天地人」は戦闘シーンが乏しい代わりに、日本地図で地理関係を表示することが特徴である。戦国乱世が終わりに近づき、天下統一に向けて動き出す時代では局所的な戦闘よりも大局的な世界観が重要になることを示している。そして大局的な用兵に秀でた人物が織田信長であった。越後・上杉家も越中の柴田勝家、信濃の森長可、上野の滝川一益と三方から攻撃され、存亡の危機に直面した。
中でも激戦地となったのが吉江(山本圭)、安部(葛山信吾)らの守る魚津城である。魚津城は勝家率いる織田の大軍に包囲され、城将は孤軍奮闘を余儀なくされていた。兼続(妻夫木聡)は越後を守ることに集中するために吉江や安部に降伏を説得する。しかし、吉江も安部も上杉の侍として武士道を貫くと拒否した。
放送では魚津勢の徹底抗戦の意気込みを強く感じることができた。前回の放送で武田家は織田信長や徳川家康に寝返る武将が続出して滅亡した。これに対し、魚津城の城将は降伏して生きのびて欲しいという上杉景勝(北村一輝)の願いに反してまで、上杉の意地を見せた。戦国最強とも称される上杉軍の強さが実感できる内容である。
但し、降伏を潔しとせず徹底抗戦を選択する美学は武士の義として分かりやすいが、一歩間違えれば単なる自己満足に陥る危険がある。十五年戦争における日本軍の玉砕が典型である。降伏することが上杉の戦略に合致するならば、策士ならば城将を騙してでも降伏させるべきであった。城将が説得に応じなかったことは兼続の力が及ばなかったに過ぎず、徹底抗戦を選択した城将達を義の戦士と美化するのは兼続の本来の立場とは齟齬がある。
実際、原作では魚津城の徹底抗戦は兼続にとって降伏の説得に失敗し、城兵を死なせてしまったという苦い悔恨で振り返られている。後に兼続は関が原の合戦で徳川家の天下が定まると、上杉家中の主戦派を抑えて家康への恭順を選択する。ここでは徹底抗戦の美学を明確に否定している。
「天地人」は義という抽象的な価値をテーマとしており、何が義であるのかという非常に難しい問題を内包している。兼続が魚津城の徹底抗戦をどのように位置付けるのか、今後の展開に注目したい。

「天地人」第19回、「本能寺の変」、爆発する本能寺

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第19回「本能寺の変」が2009年5月10日に放送された。今回は本能寺の変や山崎の合戦、魚津城落城、兼続(妻夫木聡)とお船(常盤貴子)夫婦の顔合わせなど目まぐるしい展開であった。
本能寺の変での織田信長(吉川晃司)は感情をほとんど表に出さなかった。僅かに眉毛を上げ下げするだけで表情を変えていた。最後まで真意を秘め続けたままの不気味さを醸し出していた。中盤では安土城の屋根の上に登るなど疑問を感じる演出もあったものの、本能寺では初登場時と変わらない凄みを見ることができた。吉川晃司の演技によって、信長が中世の日本において異質な存在であったことが浮き彫りになった。
過去の大河ドラマ「功名が辻」では信長は鉄砲で応戦していた。「天地人」では伝統的演出に戻って弓矢で応戦した。引き金を引くだけの鉄砲に比べて、自らの腕で振り絞って矢を放つ弓の方が信長のイメージにある狂気性や圧倒的な明智勢を前にしての孤軍奮闘ぶりを示すことに合っている。
その信長に反旗を翻した明智光秀(鶴見辰吾)は不運な常識人の感がある。光秀はスケールの点では信長には到底及ばなかったと実感させられた。謀反に到るまでの描写(信長に足蹴にされる、秀吉の配下になることを命じられる)は断片的にしか描かれていないものの、自分達の基盤さえ破壊しかねない信長の異常性(肯定的に評価すれば革新性)への恐怖感が上手に表現されていた。
本能寺の変は大河ドラマで繰り返し演じられている題材である。制作側も視聴者が本能寺の変について前提知識があることを想定している。ドラマで光秀が謀反を決意するまでの過程を克明に描かなくても、視聴者は前提知識で補うことができる。謀反を決意する過程に力を入れるのではなく、信長についていけないという光秀の思いを役者の演技で示した「天地人」の演出は一つの方法である。
本能寺の変の最後では本能寺が爆発するという斬新な演出があった。異論が出そうな演出であるが、決して的外れではない。本能寺は寺というものの土塁を築き、それなりの要塞になっていた。そのため、火薬を保管していたとしても不思議ではない。史実でも本能寺の焼け跡から信長の遺体が見付かっておらず、爆発したとするならば説明がつく。
加えて映像的にも爆発によって戦国最大の事件である本能寺の変の影響を象徴している。本能寺の変後の激動は、正に時代の大爆発であった。日本は統一に向かい、越後も天下に組み込まれていく。お船の台詞のとおり越後も春を待つだけの閉ざされた雪国ではいられなくなった。それは信長の死や山崎の合戦に部外者として振り回された上杉家の立場が示している。天下を舞台にした今後の兼続の活躍に期待したい。

「天地人」第20回、「秀吉の罠」、脚本の一貫性

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第20回「秀吉の罠」が2009年5月17日に放送された。今回は上杉家に臣従を求める豊臣秀吉(笹野高史)への対応が中心である。
御館の乱に織田信長の攻撃と存亡の危機に立たされた上杉景勝(北村一輝)・兼続(妻夫木聡)主従であったが、今回は重苦しさがなくなり穏やかである。突然訪れた初音(長澤まさみ)に慌てる兼続(妻夫木聡)などコメディ調のシーンもあった。見どころは上杉景勝(北村一輝)・兼続・秀吉・石田光成(小栗旬)の四人のやり取りのシーンである。「天地人」の醍醐味が合戦シーンではなく、人間対人間のやり取りであることを再確認した。
今回の放送で感心したのは脚本の一貫性である。正直なところ、これまでの「天地人」からは御都合主義を感じることも少なくなかった。それら視聴者として突っ込みたく思っていた部分について番組として答えを出していた。本記事では二点指摘する。
第一に御館の乱で武田勝頼を黄金で買収したことである。これは一見すると上杉家の義の精神と矛盾する。この視聴者が感じた疑問を今回の放送では秀吉の口から語らせている。秀吉の問いに答える形で兼続の口から武田を買収した意義を総括させている。
今回の放送は本能寺の変から三年後という設定であり、これからは話の流れが大きく変わっていく。心機一転させる前に登場人物に過去を総括させ、残された視聴者の疑問に答えようとする姿勢は評価に値する。焼け野原から経済大国にしてしまう前に進むことしかできない日本人的発想は随所で行き詰まりを見せている。過去に頬かむりをするのではなく、過去を直視し総括することも義である。
第二に石田三成が兼続に「度が過ぎると、阿呆に見える」と辛辣な言葉をかけたことである。実際、ドラマでの兼続が「阿呆に見える」ことは少なくなかった。史実の兼続は若くして上杉家の家老になった人物であり、もっと切れ者として描いても良いのではないかとの不満も抱いていた。
しかし、今回の放送によって、あえて兼続を出しゃばりで阿呆らしく描く必要があったことが理解できた。これによって三成の「阿呆に見える」という辛辣な台詞が活きてくる。三成の裏表のない厳しい言葉に接することで、さらなる人間的成長が期待できる展開である。
大河ドラマは放送期間が一年間という長いドラマである。最初から見続けている視聴者にとっては過去の話を活かした展開には引き込まれる。豊臣政権という新しい舞台に移っても過去の脚本を活かした展開を期待したい。

「天地人」第21回、「三成の涙」、笑いと三成の好演

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第21回「三成の涙」が2009年5月24日に放送された。今回は兼続(妻夫木聡)と石田三成(小栗旬)が互いを認め合い、無二の友となるまでを描く。今回の特徴は笑えるシーンが多いことと三成役の小栗の好演である。
第一に笑いである。前々回は織田軍の攻勢により存亡の危機の陥った上杉家であったが、ドラマでは危機は過ぎ去り、笑いのシーンが増えた。戦国時代も戦争に終始していた訳ではない。ラブコメやホームドラマの時代劇があっても不思議ではない。
上杉景勝(北村一輝)は豊臣秀吉(笹野高史)から「独り話は疲れるから、景勝どの、何か喋られよ」と声をかけられる。景勝が座り直し、口を開こうとしたが、酒を飲むためであった。それを見た家臣達はドリフばりにずっこけてしまう。史実の景勝は家臣から畏怖されており、現実にはあり得ないシーンであるが、娯楽作品として遊び心のある内容に仕上がった。
また、甘糟景継(パパイヤ鈴木)は三成の髪型に対し、「京で流行っているのか」と質問する。光成の髪型については第1話の冒頭から視聴者の突っ込みどころであった。視聴者の疑問を放置せず、物語の中で疑問に応える脚本は巧みである。
第二に石田三成である。今回は光成の独断場の感があった。三成には千利休や豊臣秀次を陥れた奸臣という伝統的なイメージがある。しかし実際の三成は真面目で融通が利かない人物で、陰謀めいたことは不得手であったとも指摘される。関が原の合戦の敗因も老獪な家康に比べて裏工作で遅れをとったことが大きい。
むしろ三成は隠し事ができず、思ったことをそのまま口に出してしまう人物であったと思われる。その正直過ぎる光成を小栗が好演している。1996年の大河ドラマ「秀吉」で子ども時代の石田佐吉を演じたのも小栗であり、三成役には運命的なものが感じられる。
前回は兼続に「出しゃばりすぎで、阿呆に見える」と毒舌を吐いた三成だが、今回も上田衆に毒舌を吐いて相手を怒らせてしまう。しかし、前回も今回も三成の毒舌は根も葉もない悪口ではなく、的を射た正論である。だから視聴者としては三成の言葉に笑ってしまう。
三成は敵対者からは悪く言われる一方で、真逆の立場からは義将と美化される両極端のイメージがあるが、「天地人」では欠点も見据えた等身大の三成像を描こうとしている。他人を「阿呆」視する三成を登場させることで、同じく智将タイプでありながら、他人から好かれる兼続との相違を際立たせることにもなった。その兼続によって孤独だった三成は心を開くことになる。今回は笑いあり感動ありの心温まる放送であった。

「天地人」第22回、「真田幸村参上」

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第22回「真田幸村参上」が2009年5月31日に放送された。今回は若き真田幸村(城田優)が兼続(妻夫木聡)と邂逅し、その義の精神に感化される。
幸村は武田・織田・北条・徳川と主君を変え、後に「表裏比興の者」と評される真田昌幸の次男である。上杉家の義の精神とは対極的な存在である。ドラマでの幸村も人を全く信じない存在として描かれている。一方で幸村は豊臣家への忠誠を最期まで貫き通した武将である。大阪夏の陣で圧倒的な兵力差がありながら寡兵をもって徳川家康を後一歩のところまで追いつめた戦いぶりは「日本一の兵」と賞賛された。
この幸村の忠誠心は兼続から影響を受けたとするのが原作の流れである。それをドラマでは原作以上に明確に描いた。幸村が上杉家の人質になったことは史実であり、兼続との出会いが幸村の生き方に影響を与えた可能性は皆無ではない。ドラマでは幸村が兼続に感化された様子を上手に演出した。
登場時の幸村は傾奇者のような雰囲気で、上杉家の家臣達に露骨なまでに敵意を丸出しにしていた。真田家が表裏比興と評されるのは周囲にひしめく大勢力の間を巧みに渡り歩いたためである。そこには大勢力に巧みに取り入ることも含まれる。援軍を求める立場の幸村が敵意を丸出しにすることは本来ならばあり得ない。幸村の露骨さは本質的には正直な人間の裏返しである。これは前回の石田三成(小栗旬)にも当てはまる。
幸村の心を開かせた兼続の良さは人質に来た幸村に景虎(玉山鉄二)を重ね合わせたことである。景虎は御館の乱で上杉家の家督を景勝(北村一輝)と争った人物である。御館の乱は遺言の捏造や本丸の占拠など景勝方に非がある内乱であり、敗北して自刃した景虎は悲劇の武将である。
主人公側が正義と言えない御館の乱は義の武将を描くドラマとしては後味の悪いものであったが、勝利した側の兼続が景虎の悲劇を記憶し、行動の指針にしていることに一抹の救いがある。都合の悪い過去から目を背け、水に流してしまうことが日本人の悪癖だからである。
ドラマでは越後に戻ってきた幸村が雪の中を直江屋敷の門前に佇む。北国の冬は寒いが、雪が降ると、それまでの凍てつくほどの寒さが心持ち暖かく感じられる。雪のような温かさを持った兼続の義の精神が凍てつく幸村の心を融かしたシーンであった。

「天地人」第23回、「愛の兜」

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第23回「愛の兜」が2009年6月7日に放送された。いよいよ今回は兼続のシンボルとも言うべき愛の前立ての兜が登場する。直江兼続(妻夫木聡)の見せ場であるが、これは一番の注目していたシーンではなかった。
前回(「真田幸村参上」)の次回予告に子ども時代の与六(加藤清史郎)と喜平次(溝口琢矢)が登場したためである。この二人の子役は僅か2話でバトンタッチしたが、非常に印象的な存在であった。特に加藤清史郎の舌足らずの喋り方が愛らしい。かわいらしかった子役の再登場が予告され、どのような形での登場となるのかに興味が集中した。
「天地人」の本能寺の変は織田信長(吉川晃司)が上杉謙信(阿部寛)の亡霊と対話する現実離れした演出であった。そのため、人気の子役を再登場させることが目的化され、不自然な展開にならないか心配であった。無理矢理な登場の仕方では、「わしはこんな形で出とうはなかった」との与六の心の声が聞こえてきそうである。
しかし、心配は杞憂に終わった。子役のシーンは、行き詰って悩んだ景勝(北村一輝)に初心に戻ることの大切さを気付かせるためのものであった。納得できる自然な演出である。記者は大手不動産会社から不利益事実を隠して新築マンションをだまし売りされ、裁判で売買代金を取り戻した経験がある。不利益事実を説明されていれば問題物件を購入しなかったのだから契約を白紙化することが正義という想いが裁判闘争の出発点となった。裁判闘争は決して順風満帆ではなかったが、壁にぶつかった時は常に初心に戻ることで勝利を得た。
この経験があるために初心に戻ることで迷いを断ち切った景勝の清々しさには共感する。また、その景勝を見て「殿は大きい」と景勝の度量の大きさを認識した兼続の人物眼の確かさにも納得する。
今回も越後の季節感を映像美で描いていた。人物は小さく、雪景色や稲穂の揺れ、川沿いの桜並木、禅寺の草深さに重きを置いた演出であった。上洛のために出発した景勝・兼続主従は次回以降、京都を舞台として天下を相手に活躍することになる。越後を背負った行軍であることを感じさせるカメラワークであった。
新潟では「天地人」の視聴率が全国平均よりも高く、放送時間中は水道使用量が減少するほどであると報道されている。それは単に新潟出身の人物を主人公としたドラマだからというだけでなく、新潟の自然を背景にしている点も新潟県民から支持される要因であろう。

「天地人」第24回、「戸惑いの上洛」

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第24回「戸惑いの上洛」が2009年6月14日に放送された。今回は上杉景勝(北村一輝)・兼続(妻夫木聡)主従が上洛し、京・大阪が舞台となる。
上洛した景勝・兼続にとって上方の流儀はサブタイトルのとおり、戸惑いの連続であった。連日の挨拶や酒席の強要(アルハラ)に景勝がウンザリする様子は現代人としても大いに共感できるところである。景勝を襲った突発性難聴や平衡感覚の喪失は、過労とストレスで心の病を患う現代人の姿でもある。
前田利家(宇津井健)や福島正則(石原良純)は兼続の兜の前立ての文字「愛」について愛染明王に由来するのではないかと指摘する。「天地人」では原作もドラマも仁愛の愛、民への愛と位置付けるが、むしろ愛染明王や愛宕権現への信仰に基づくとの解釈の方が有力である。上杉家の旗印「毘」も毘沙門天に由来する。
仁愛の愛とする「天地人」の解釈は視聴者にとっては突っ込みどころになるが、それを話の中で登場人物に指摘させる脚本は巧みである。特に福島正則については司馬遼太郎が正則を主人公とした小説のタイトルを「愛染明王」(『おれは権現』収録)としている。そのような人物に「愛染明王の愛ではないか」と指摘させる点は上手である。
その正則は悪酔いして、お涼(木村佳乃)に投げ飛ばされてしまう。このシーンは漫画チックな演出である。しかし、夫人に長刀で斬りつけられて逃げ出したという逸話がある正則らしいフィクションとも言える。挨拶周りで疲れている景勝と兼続を帰そうとしない正則にイライラした視聴者にとってはスカッとするシーンであった。
兼続を主人公とする「天地人」にとって豊臣家内部の武断派(加藤清正、福島正則ら)と文治派(石田三成ら)の対立は大きなポイントになる。世評では武断派は恩義を忘れない律義者と好イメージで語られ、石田三成には狡猾な奸臣という悪印象が定着している。しかし、その一般的イメージを踏襲するならば、三成を盟友とした兼続の評価も落とすことになる。この点、「天地人」では興味深い展開が期待できそうである。
今回、三成(小栗旬)は上方の流儀に不慣れな上杉家のために千利休の娘・お涼を世話役に付ける。これは三成がお涼を評価しており、少なくとも現時点では千家に悪感情を抱いていないことを意味する。反対に正則は自分が愛蔵する茶碗を酷評した千利休に恨みを抱いている。既存の作品では三成と利休を対立させ、三成の讒言を利休切腹の原因とする作品が多かった。これに対して「天地人」では異なる描き方がされそうである。
また、正則は酒に溺れ、女性や陪臣を見下す無教養な人物に描かれている。まるで海外映画に登場する日本兵のような扱いである。この正則に比べると三成は清廉である。武断派と文治派の印象を逆転させる演出であり、豊臣家内部の対立構造に新たな視点を提示することが期待できる。

「天地人」第25回、「天下人の誘惑」

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第25回「天下人の誘惑」が2009年6月21日に放送された。今回は豊臣秀吉(笹野高史)が兼続(妻夫木聡)を家臣にしようと画策する。今回も筋運びの巧みさに感心させられた。
秀吉が兼続を家臣にする意思を示した直後に、徳川家康(松方弘樹)の重臣・石川数正が秀吉に臣従した事実を説明させる。秀吉が兼続を家臣にしようとしたことと石川数正の出奔は関係のない出来事である。それを結びつけることで誰の家臣でも手段を選ばない秀吉の凄みを示した。
また、真田幸村(城田優)の登場も意外性があった。秀吉は兼続を家臣にするために幸村を利用する。上杉家の人質となっていた幸村が上杉家を裏切り、豊臣家の人質になったことは歴史的事実である。本来ならば上杉家から逃亡した時点で兼続も知っていることであるが、大阪城で登場させることでインパクトを大きくした。
当初は登場させる意味があるのか疑問視されていた初音(長澤まさみ)も、今回はキーパーソンとなった。初音の存在によって幸村や石田三成(小栗旬)とのやり取りが活きてくる。
その三成は「上杉を守りたい」と言い、秀吉の真意を兼続に教える。ここには新たな三成像がある。千利休の切腹や朝鮮出兵など豊臣政権のマイナス面を三成に負わせる見方が強いが、むしろ欲しい物の全てを手に入れなければ気が済まない秀吉の強欲さが原因であったと考えられる。
秀吉の狙いを知った上杉景勝(北村一輝)・兼続主従は「まつりごと」という戦いに向け覚悟を決める。景勝は「お主の思うとおりにやればよい。責めはわしが全て負う」と言う。兼続は問題が起きれば自分の首で解決することを求める。実に清々しい主従である。本能寺の変後は御館の乱や魚津城の戦いのような存亡の危機というほどの緊張感はなかったが、今回において新たな戦いの方向性が定まった。主従の絆を描く「天地人」にとっては、最重要の戦いと位置付けても評価し過ぎではないだろう。
秀吉自身が自らに足りないものとして情に秀でた兼続の才を認めている通り、知略だけではなく、義や愛の精神を持つ兼続は天下人をも出し抜くことが期待できる流れである。反骨精神旺盛な方が勝つという展開は視聴者にとって心地よい。特に大手不動産会社を相手に裁判を起こし、新築マンションの売買代金を取り戻した経験のある記者にとっては尚更である。記者も自らの中にある「義」を貫き通せる人でありたいと感じた放送であった。

「天地人」第26回、「関白を叱る」

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第26回「関白を叱る」が2009年6月28日に放送された。今回は上杉景勝(北村一輝)・兼続主従が兼続を自己の家臣に引き抜こうとする豊臣秀吉(笹野高史)と対決する。
視聴前は知略を尽くした駆け引きを期待していたが、実際は兼続が「主は景勝以外にはいない」と正論を貫くことであっさりと終わった。ここには当意即妙な受け答えをすることよりも、自己の信念を貫くことを大切とする価値観が感じられる。
「長いものに巻かれろ」体質の日本人は自らの情けなさを糊塗するために、私を捨てて公につくことを美徳と持ち上げる傾向がある。越後一国の田舎大名の家老でとどまるよりも、天下人に仕えて天下万民のために働いた方が世のためになると正当化するのが日本人の主流派的発想である。しかし、自分の周囲の小さな世界も守れない人間が大きな世界で活躍できる筈がない。
「長いものに巻かれろ」体質は現代の日本にも根強く残っているために、正論を貫いた景勝・兼続主従には清々しさを覚える。今回のサブタイトルは「関白を叱る」である。劇中で関白を叱ったのは北政所(富司純子)であるが、内面的には景勝・兼続主従が叱ったと言える。兼続は天下人に怯むことなく堂々と主張を貫き、景勝は秀吉と刺し違える覚悟を決めていた。秀吉の「そちらのような無礼者は今まで見たことがない」との嘆息が叱られたことを象徴する。
今回の脚本の秀逸な点は秀吉と景勝・兼続主従の後に秀吉と徳川家康(松方弘樹)の猿芝居を持ってきたことである。上洛して秀吉に臣従した家康は謁見時に秀吉の陣羽織を所望する。このエピソードは大河ドラマ「功名が辻」でも描かれたお馴染みのシーンであるが、このドラマの家康は非常に白々しく、正に狸親父であった。後の家康と三成の対立は三成が家康を過剰に敵視したことを原因とする見方が強いが、この家康では三成でなくとも危険視したくなる。
秀吉は家康の腹黒さを認識しつつも、表向きは和やかに対応する。醜悪な猿と狸の化かしあいである。上杉主従の清廉とは対照的である。「天地人」のチーフ・プロデューサーの内藤愼介氏は、義と愛を掲げた兼続を「謀略をめぐらせ利を得ることが第一であった戦国時代において、非常に特異な存在感を発揮した」と語る。秀吉と家康のようなだまし合いが横行する時代にあって、景勝と兼続の主従の絆が特異な存在感を示していたことが納得できる内容であった。

「天地人」第27回、「与六と与七」

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第27回「与六と与七」が2009年7月5日に放送された。今回は兼続(妻夫木聡)の弟で与七から名を改めた小国実頼(小泉孝太郎)の独り立ちが中心となる。与六と与七の兄弟関係が丁寧に描かれていた。
「天地人」は対照性が演出の妙味である。秀でた兄を持った弟の葛藤だけではない。兄弟揃って他家に婿入りしているが、肩身の狭い思いをしている実頼によって直江家のアットホームさが改めて強調される。
また、今回は徳川家康(松方弘樹)が兼続に兜の前立ての「愛」の意味を問うシーンがあった。過去にも福島正則(石原良純)が同じ質問をしているが、正則と家康の器の違いを物語っていた。正則が酒席で酔態を示したのに対し、家康は茶室での質問である。正則が兼続の話を聞かずに勝手な意見を押し付けたのに対し、愛で乱世を治められるかというドラマの本質に迫る問答になっている。兼続にとって家康が大きな敵となることを予感させる展開である。
大河ドラマは役者を成長させていく作品である。豊臣秀吉(笹野高史)に諫言する兼続の凛々しさには惚れ惚れする。顔をくしゃくしゃにして泣いたり叫んだりしていた兼続が、いつの間にか風格を見せるようになった。過去には戦国武将らしからぬ頼りなげなところがあったが、安心して観ていられるようになった。実頼演じる小泉孝太郎もいい味を出してきた。父親(小泉純一郎・元首相)の影から離れて立派な俳優になったと感じられる。
今回で登場した人物に茶々(深田恭子)がいる。深キョンらしいかわいらしい茶々である。劇中で茶々は屈託なく秀吉と戯れていた。最初から秀吉と戯れる茶々は斬新である。茶々の母・お市の方は秀吉を毛嫌いしており、秀吉軍に攻められて越前北ノ庄城で自害した。過去の大河ドラマの『秀吉』や『功名が辻』では秀吉への恨みや秀吉の側室になることへの葛藤を描いていた。「天地人」では省略しただけなのか、心の奥底に深く潜行しているのか、今後の展開が楽しみである。
茶々は実頼に小国から大国への改名を奨め、断る実頼を「名前の通り小さい男」と言い放った。ここには単なるワガママではない才気を感じられる。北政所(富司純子)は茶々が豊臣家の乱れとなることを懸念しており、未来を暗示している。茶々を中心とする豊臣家の愛憎関係にも新たな視点の提示が期待できる。

「天地人」第28回、「北の独眼竜」

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第28回「北の独眼竜」が2009年7月12日に放送された。今回は伊達政宗(松田龍平)が登場する。その政宗の正室の愛姫は、大河ドラマ『独眼竜政宗』(1987年放送)を主演した渡辺謙の娘の杏が演じる。ここには運命めいた巡り会わせが感じられる。
兼続(妻夫木聡)は上杉景勝(北村一輝)の名代として米沢城で政宗(松田龍平)と対面し、戦を止めるように説得する。政宗の服は黒で、「天地人」の過去の回で登場した織田信長を連想させる。その連想を裏切らず、政宗の思想は信長と同じく力で平定しようとするものであった。衣装から人物像を印象付ける演出の巧みさには感服する。
政宗は兼続の説得を受け付けず、平行線を辿った。兼続と政宗の睨み合いには迫力がある。奥州で覇を唱える政宗から見れば兼続は権力者・豊臣秀吉に尻尾を振る犬にしか見えなくても無理はない。「豊臣の天下になったのだから、上洛して秀吉に臣従すべき」との主張も政宗にとっては身勝手な理屈である。それでも敵地において独眼竜を相手に一歩も引かない兼続には戦を避けたいと願う仁愛の精神がほとばしっていた。
兼続は刀を抜いた政宗に「戦うつもりで参ったのではない。まもなく子が生まれる。わしはその子のためにも生きねばならぬ」と応じる。子どもが生まれることは兼続の個人的な事情であり、本来ならば政宗の知ったことではない。そのような主張をさらりと行うところに兼続の大物ぶりがある。
結果としては政宗への説得は不調に終わり、政宗は蘆名を攻略する。兼続は政宗に斬られそうになっただけで成果はなく、失態と評価すべきものである。それでも物語としてはまとまっている。兼続は愛の精神で政宗に対峙する。政宗が受け入れるか受け入れないかは問題ではない。過去に登場した石田三成(小栗旬)や真田幸村(城田優)のようにあっさりと兼続になびく人物ばかりでは面白くない。兼続が自らの信念を熱く語り、信念に基づいた行動を貫けるかが問題である。
政宗の蘆名攻めの報に景勝は「戦を制するには戦しかないものか」と嘆息する。これは愛の信念にとっても危機であった。しかし、お船(常盤貴子)との愛の象徴である娘の誕生によって愛の信念が強化された。今後も愛は乱世に通用しないとの反論が提起され続けられるだろうが、兼続が愛の信念を貫き通すことは間違いないと思わせる内容であった。

「天地人」第29回、「天下統一」

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第29回「天下統一」が2009年7月19日に放送された。今回は小田原征伐がメインである。
上杉景勝(北村一輝)・兼続(妻夫木聡)主従は小田原征伐では脇役である。それでもドラマでは主役であるため、見せ場が必要である。今回も史実と演出のバランスがとれたものになった。決して兼続を中心に描いておらず、諸大名の動きがよく見える。それが逆に兼続が表舞台で活躍していることを示す形になっていた。
たとえば伊達政宗(松田龍平)の参陣である。ドラマでは無用な戦を避けるために兼続が根気よく書状を送ったことが政宗の参陣を決意する背景となっていた。政宗が豊臣秀吉(笹野高史)に死装束で謁見した話は有名であるが、これもドラマでは兼続の手紙の文面「死中に生あり」が影響を与えている。
この言葉は上杉謙信が出陣前に家臣を鼓舞するために使用したものである。兼続が謙信の義の精神の継承者であることを自然に示している。また、兼続が魚津城で戦死した武将達のことを忘れていないことも感動的である。魚津城の戦いと小田原征伐は直接関係しない。それを関係付けることでの世を終わらせたいという兼続の思いを強調している。
政宗には徳川家康(松方弘樹)からも書状が送られていた。そこには兼続の手紙とは逆に「参陣無用」と書かれていた。政宗は家康の思惑の裏を読んで参陣を決意したとも解釈できる。しかし、秀吉との謁見後に政宗はわざわざ兼続の陣を訪れており、政宗が口では否定していても兼続を意識していることが分かる。憎まれ口を叩く政宗と大人の対応をする兼続のやり取りは微笑ましい。兼続の度量が分かるシーンである。
今回は関が原の合戦への伏線にもなった回である。徳川家康(松方弘樹)は秀吉に心服しておらず、北条氏や政宗が抵抗を続けて混乱の拡大を狙う野心家として描かれている。政宗が参陣した際の家康の苦虫を噛み潰した表情が秀逸であった。この時点での家康を秀吉への野心を抱いていた存在と描く作品は珍しいが、この場合、秀吉存命中の家康は野心をひたすら抑えていたことになる。それは我慢・忍耐強さで知られる家康らしさを表すものである。
その家康を秀吉も前田利家(宇津井健)も警戒している。石田三成一人が家康を過剰に危険視していた訳ではないという点は関が原を考える上で重要である。家康の関東移封を申し渡したのは三成(小栗旬)であった。家康は三成に「戦がはなはだ苦手とお見受けする」と挑発する。関が原の対立が暗示された放送であった。

「天地人」第30回、「女たちの上洛」

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第30回「女たちの上洛」が2009年7月26日に放送された。今回は千利休(神山繁)の切腹と菊姫(比嘉愛未)の上洛が主題である。「天地人」は戦国時代劇でありながら、ホームドラマの要素も強い。今回は歴史上の事件とホームドラマ要素を上手につなぎ合わせた好脚本であった。
まず利休の切腹である。利休は茶の湯の精神を守るために死を悄然と受け入れる。利休の死が茶の湯の歴史に重みを与えたことは事実である。死を達観した利休の心情が丁寧に演じられていた。一方でドラマでは利休の娘・お涼(木村佳乃)に悲しみを吐露させることで、悲劇性も強く演出している。利休本人によって死が茶道にもたらす意味を示し、父を亡くした娘の悲しみで天下人の理不尽な命令による悲劇を表現した。
利休を切腹させた豊臣政権側は、豊臣秀長亡き後で諫言者がおらず、秀吉(笹野高史)は裸の王様になっている。加えて、北政所(富司純子)と淀(深田恭子)の鞘当ても始まっている。利休の切腹を石田三成の陰謀として描く作品も多いが、陰謀が成立するほどの一貫性ある意思は存在しない。
ドラマの石田三成(小栗旬)は「利休が詫びれば許すつもりだった」旨の発言をしている。この発言によれば、利休を屈服させることで、秀吉の権威を高めようとしたようである。利休が謝ると考えていたならば、三成は利休という人間を見誤ったことになる。三成を利休切腹の黒幕として描く作品では、天下人にも屈服しない利休の反骨精神を三成が悪用して利休と秀吉の対立を修復不可能なところにまで持っていく。
これに比べると、ドラマの三成は陰謀によって政敵を追い落とすような腹黒い人物ではないが、相手の器量を読めない小者になってしまう。だからこそ、その三成に「情が大切」と諭す兼続の言葉は二重の意味を持つ。情の欠けた冷酷な政治では人はついてこないという表面的な意味に加えて、人の心が分からなければ政治ができないという意味である。
もう一つの主題は上杉景勝(北村一輝)の正室・菊姫(比嘉愛未)の上洛である。秀吉は大名の妻の上洛を命じた。これを利休の切腹と同じ回に放送することで、秀吉の命令が絶対的な力を持つものであることを視聴者に印象付けた。しかし、菊姫(比嘉愛未)は頑なに上洛を拒否する。厳しい表情の比嘉愛未と困り顔の北村一輝が対照的で面白い。最終的には上杉景勝(北村一輝)・菊姫、兼続・お船(常盤貴子)の愛情が伝わる感動的な話に仕上がった。

「天地人」第31回、「愛の花戦」

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第31回「愛の花戦」が2009年8月2日に放送された。今回は北政所(富司純子)と淀(深田恭子)の確執と朝鮮出兵が中心になる。女性の醜い争いを「花戦」と美しく表現するところに制作者のセンスが表れている。「天地人」が女性視聴者を引きつけていることにも納得できる。
一方で伝統的な歴史ファンからは歴史認識が浅いとの批判も出ている。たとえば淀には父親・浅井長政を滅ぼし、母親・お市を自害に追い込んだ豊臣秀吉(笹野高史)の側室になることへの葛藤がある筈である。また、淀は織田信長の姪であり、本来は臣下の妻である北政所の下になることも面白くない筈である。これらの点についてドラマでは明確に描かれていない。
前回の放送で菊姫(比嘉愛未)は上洛を嫌がったが、これも実家である武田家を滅ぼした織田信長の後継者である秀吉の人質になることの嫌悪感があった筈である。しかし、ドラマでは夫である上杉景勝(北村一輝)との離れたくないという現代人的な理由で説明されている。
このような描かれた方は歴史的背景を無視したものとして不満の種となる。特に記者は大手不動産会社から新築マンションをだまし売りされた被害経験がある(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』参照)。不誠実な大手不動産会社への怒りが深いために、過去の恨みを安易に水に流してしまう人物像には薄っぺらなものを感じてしまう。
しかし、今回の放送によって制作陣は決して歴史的背景を軽視している訳でも無知な訳でもないことが分かった。鶴松を亡くした淀は世継ぎの母ではなくなったため、大名の奥方達から陰口を叩かれる。その中で菊姫は凜として淀殿を励ます。
それに対して淀は「信玄の娘が信長の姪を励ますか」と応じる。この一言に共に偉大な人物を出しながらも現在は零落した実家を持つ者同士の矜持と悲哀が表れている。菊姫と淀が互いを気遣う姿が感動的である。細かな歴史的背景を長々と描写せずに、僅か一言に凝縮する。真の歴史ファンを唸らせる脚本となった。
一般に北政所と淀の確執では北政所が善玉、淀殿が悪玉と描かれがちである。しかし、天地人の北政所は情が深そうであるが、自分の善意を相手に押し付けなければ気が済まない人物にも見える。菊姫が反発するのも理解でき、視聴者としても淀に感情移入しやすい。両者の対立は関が原の合戦にどのように結びついていくのか、今後の展開が楽しみである。

「天地人」第32回、「世継ぎの運命」

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第32回「世継ぎの運命」が2009年8月9日に放送された。今回は豊臣秀吉(笹野高史)の二人の養子・秀俊(上地雄輔)と秀次(眞島秀和)がクローズアップされる。秀吉と淀の間に拾(後の秀頼)が生まれたことで、二人の養子の運命は大きく変わる。
当初、秀吉は秀俊を毛利家の養子にしようとするが、老獪な毛利輝元(中尾彬)は上杉景勝(北村一輝)に押し付ける。困惑する上杉家であったが、お船(常盤貴子)が北政所(富司純子)に善処を求めた。しゃしゃり出ることでの事態打開は兼続(妻夫木聡)・お船夫婦に共通する。智将の影に賢妻ありである。
秀俊は景勝・兼続の前で養子に出される悲しみを吐露する。一度養子に入った家から厄介払いのような形で養子に出される悲哀がにじみ出ている。その秀俊に景勝は自分も養子だったと語り、運命を受け入れるように諭す。普段は無口な景勝の説得は迫力がある。さすがは兼続の主君と思えるほどの存在感を示した。
実際、景勝は実父・長尾政景を暗殺したかもしれない相手である上杉謙信の養子になった。謙信の養子になることには大きな葛藤があった筈である。この過去の重みがあるために「自分だって苦労した」という年寄り的な繰言とは一線を画す発言になった。異なる出来事を一つのテーマで結びつける好脚本である。
結局、秀俊は小早川隆景(横内正)の養子になる。後の小早川秀秋である。秀秋は関が原の合戦のキーパーソンであるが、多くの作品では優柔不断の阿呆と描かれがちである。これに対して天地人では秀秋にも複雑な背景があることを示している。豊臣家への愛憎入り混じる思いから、単なる裏切り者ではない秀秋像が期待できる。
もう一人の養子・秀次と対抗するために秀吉は伏見城を建設する。この伏見城完成の祝いの席で石田三成(小栗旬)と徳川家康(松方弘樹)ら諸大名の対立が表面化する。秀吉を操る奸臣として三成を描く作品も多いが、「天地人」では秀吉の意を忠実に履行し、憎まれ役を引き受けるという割に合わない立場である。
嫌味を言われた三成を兼続は励ます。その励まし方が言葉だけではないユニークなものであった。まるで青春ドラマのような兼続の行動であった。時代劇では考えにくい行動であるが、愛の前立てという奇抜な兜をした人物ならばあり得ると思わせる自然さがある。兼続の人間的魅力を新たにした放送であった。

「天地人」第33回、「五人の兼続」

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第33回「五人の兼続」が2009年8月16日に放送された。今回は豊臣秀次(眞島秀和)が切腹し、五大老・五奉行の原型が成立する。石田三成(小栗旬)の新たな人間像を描いた回であった。
前回放送では石田三成が秀次に高野山への蟄居を命じて終わった。蟄居を命じる三成は不気味な笑顔をしていた。そのため、「天地人」でも豊臣政権を私物化した悪役として三成を描くのかと予想されたが、期待は見事に裏切られた。三成には暴走する豊臣秀吉(笹野高史)側近としての苦悩と葛藤があり、憎まれ役を引き受けるという悲壮な決意があった。身勝手なトップと第三者的に文句を垂れる現場に挟まれる苦労は、むしろ現代人にとって身につまされる話である。
三成本人に本心を語らせるのではなく、秀吉や初音(長澤まさみ)の言葉から真相を浮かび上がらせる演出も上手い。これによって、「本当の三成はこうだったのか」と説得力を持たせることに成功した。
盟友である筈の兼続でさえ初音から指摘されて初めて三成の本心に気付いた。それに比べると徳川家康(松方弘樹)の三成批判に反論した上杉景勝(北村一輝)の眼力は確かである。景勝と家康の直接対決は関が原の前哨戦のようで見応えがある。天地人の家康は腹黒い狸親父として描かれているが、その家康と堂々と渡り合った景勝は痛快である。
「天地人」の主役は兼続である。安直な演出としては主役を目立たせるための引き立て役を作る手法がある。しかし、景勝を引き立て役にしないところが「天地人」の奥深さである。智将・兼続の主君にふさわしい人物として描かれている。
三成と兼続は大老・奉行による合議制を秀吉に提案する。権力を手放すことを渋る秀吉を最終的に了承させたものは三成の泣き落としであった。ここにはクールで理知的な既存のイメージとは異なる三成がいる。そして秀吉の承諾後に三成と兼続は爆笑する。三成も友人の前では喜怒哀楽を見せる普通の人間である。爽やかな友情ストーリーを堪能した放送であった。

「天地人」第34回、「さらば、越後」

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第34回「さらば、越後」が2009年8月23日に放送された。今回は上杉家が越後から会津に移封される。
兼続(妻夫木聡)は病に伏した秀吉(笹野高史)から会津への国替えを依頼される。原作では石田三成との会話で大きな葛藤もなく国替えが決まるが、ドラマでは秀吉自らが依頼する。父祖の地・越後を離れるインパクトを踏まえればドラマの方が自然である。
秀吉は切腹させた豊臣秀次の亡霊を見るなど老醜をさらけだしていた。戦国の覇者である織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の中では朝鮮出兵などがあり秀吉のマイナスイメージが強いが、そこには死に際の見苦しさも影響していると思われる。しかし、国替えの説得では「秀頼の行く末だけを考えている訳ではない。戦のない世にするためだ」と兼続が断れない理屈を持ち出した。老いたとはいえ、人たらしぶりは健在である。
国替えに際しては上杉家主従の越後への愛着が丁寧に描かれていて感動的な内容に仕上がっていた。「私がこの越後でしてきたことは何だったのか…」との兼続の台詞には泣かされた。越後に残る仙桃院(高島礼子)と上杉景勝(北村一輝)の会話は少ないが、お互いの思いが通じる姿には感動する。そして越後の景色を目に焼き付けるシーンが印象的であった。
住み慣れた故郷を離れることは心理的にも大変であるが、機械のない当時は物理的にも大変な労力を要する作業であった。ドラマでは越後から会津へ移動する人馬の列を映すことで移動の大変さを表現した。
「天地人」は合戦シーンの描写が少なく、時代劇というよりもホームドラマと評されることもある。しかし、華々しい合戦シーンだけが歴史ではない。当時の人々の生活を描くことも時代劇の大事な役割である。物語性がないために簡単に済まされる傾向にある国替えの大変さに着目した制作者の視点はユニークである。この意味で「天地人」は立派な時代劇になっている。

「天地人」第35回、「家康の陰謀」

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第35回「家康の陰謀」が2009年8月30日に放送された。今回は豊臣秀吉(笹野高史)が没し、徳川家康(松方弘樹)の専横が始まる。大きく時代が動いていく状況にふさわしいハラハラする展開であった。
まず秀吉の逝去である。三成には秀吉と最初に出会った時の有名なエピソードがある。喉の乾いた秀吉に、まずは飲みやすい温めの茶を出し、渇きが癒えた後は熱い茶を味わってもらった。この才覚に感心した秀吉は三成を家臣にする。このエピソードを秀吉の臨終に絡めており、歴史ファンを唸らせる演出である。
出会いのエピソードを臨終場面でも繰り返すことで、三成は秀吉の最後まで忠義を尽くしたことを象徴する。これは前回の放送で秀吉没後の算段をしていた家康とは対照的である。これによってドラマでは家康と三成のどちらが善であるかの価値判断を明確にしている。
臨終の場面では秀吉は何故かベッドに寝ており、北政所(富司純子)や淀(深田恭子)は椅子に座って見守っている。まるで現代の臨終のアナロジーのようで、自分が見取った気分にさせられる。医療技術の進歩と反比例して、脳死や安楽死、尊厳死など死期を人為的に早める思想も登場している。しかし、死に逝く人でさえ秀吉のように生きようと必死に足掻き続けるものである。それ故にこそ、生命は尊い。三成のように最後まで尽くすことが遺される者の理想である。
次に家康の悪役ぶりである。「天地人」で描かれた狸親父の腹黒さは関が原の合戦に向けてドラマを盛り上げる。家康は幼少期に織田家・今川家の人質となるなど弱小大名として苦労を重ねた人物である。そのため、家康を中心に描く場合、幼少期の苦労への同情もあり、老年期は好々爺のイメージで描かれることが多い。
この家康像を一新した作品は大河ドラマ「葵 徳川三代」であった。ここでは物語は秀吉没後から始まり、圧倒的な大大名の家康(津川雅彦)は野心を剥き出しにした激しいキャラクターであった。
「天地人」の家康も天下への野心を抱く点では共通する。一方で「天地人」の家康は自分が不利になると引き下がるしたたかさも併せ持つ。ここには苦労人の如才なさと野心家の野望が止揚されている。それが狸親父と呼ばれる家康像に近いように感じられる。江戸幕府の創設者として好意的に描かれがちな家康も、上杉家から見れば大きく変わる。視点を変えることによる歴史の醍醐味を改めて実感した放送であった。

「天地人」第36回、「史上最大の密約」

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第36回「史上最大の密約」が2009年9月6日に放送された。今回は石田三成(小栗旬)の失脚など関が原の合戦に到るドラマが展開する。
豊臣家内部の武断派(加藤清正、福島正則ら)と文治派(石田三成)の対立をクローズアップする作品が多い中で、「天地人」では義を貫く上杉景勝(北村一輝)・兼続(妻夫木聡)や三成と天下への野心を顕わにする家康の対立に明確化している。「天地人」の家康は頭にコブがある。当初はコブにカバーをつけていたが、最近では露出させることが多い。それに比例して家康の言動も他人を憚らないものとなっている。コブに家康の心理状態を象徴しているとしたら、手が込んでいる。
上杉と徳川の対立は既に避けられない状態であった。「天下を乱すゆゆしき者」と兼続を非難する家康に対し、景勝は「お控えあれ」と兼続を守る。冷静沈着な景勝が家康の前にズカズカと歩み、怒りを背中でも表現していた。景勝に呼応して兼続も一緒に反論する。家康という巨悪に立ち向かう主従の一体ぶりは清々しい。
上杉家は会津に帰国するが、帰途に兼続は一人で佐和山城に立ち寄る。蟄居中の三成は腐っていた。自分の理想が通じなかったことに失望したためである。これは三成の純粋さを示している。これに対して徳川家康(松方弘樹)は自らが不利になればアッサリと態度を翻す。世渡りは上手だが、貫くべき信念に欠けている。
兼続は腐っていた三成の心に再び義の炎を燃え上がらせる。二人の密約が歴史の大波を起こしていく。天下泰平の世のために二人が語り合うシーンは熱い。目指す理想に燃える人は素晴らしい。
「天下が治まったら何をしたいか」という初音(長澤まさみ)の質問に対し、兼続は「民の暮らしを豊かにしたい」と答える。ここには江戸時代に内政面で手腕を発揮した兼続の姿を暗示する。一方、三成は「海の向こうが見たい」と答える。ここには徳川の天下でなければ鎖国はなく、日本人も偏狭な島国根性から解放されたものになっていただろうという制作者の思いが感じられた。

「天地人」第37回、「家康への挑戦状」

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第37回「家康への挑戦状」が2009年9月13日に放送された。今回は世に名高い直江状が登場する。兼続にとっては一世一代の大勝負であり、ドラマ全体を通じた見どころである。
今回の兼続(妻夫木聡)は凛々しい戦国武者に変貌していた。これまでは泣き虫余六と呼ばれ、優しすぎて頼りなさそうな面があった。それが今回は大大名の執政に相応しい存在感を示していた。
兼続の書いた直江状を読み、徳川家康(松方弘樹)は激怒する。「天地人」の家康は秀吉に阿諛追従するなど本心を隠した芝居に長けている。その家康が直江状には感情を顕わにする。それだけ直江状が激烈であったことを示している。
直江状は家康の詰問書への返書であるが、「天地人」では淀(深田恭子)や諸大名にも写しを送付する。上杉家の正しさを広く世の中にアピールする戦略である。これは内々に狸芝居で福島正則(石原良純)を説得する家康のやり方とは対照的である。
家康は大軍を率いて上杉討伐に向かうが、兼続は万全の迎撃体制を整える。ここで兼続の空想が映像化される。そこでは攻め込んだ徳川勢は上杉勢の罠にはまり、家康は泣いて許しを請う。時代劇で空想シーンは珍しい。しかも、現実の戦争すら簡略化される傾向のある「天地人」では中々手の込んだ戦闘シーンになっている。専横の限りを尽くした徳川勢が義の上杉勢に倒されるシーンは空想であっても小気味よい。あからさまな史実改ざんが許されない中で歴史のIFを実現する演出である。
家康率いる大軍は石田三成(小栗旬)の挙兵によって西に反転する。兼続は追撃を進言するが、上杉景勝(北村一輝)は「敵を背後から討つのは義に背く」と応じなかった。二人三脚で歩んできた主従の意見が対立した瞬間である。これまで見てきた中で最も険しい兼続の表情であった。
家康を追撃しなかった上杉家は北の最上家を攻めることになる。当時の上杉家の領地である会津と庄内が最上家の領地に分断されており、最上家を併呑すれば上杉領の飛び地を解消できる。このため、最上攻めは戦国大名として合理的な選択であった。これに対して、ドラマでは攻撃してきた最上を迎え撃つという設定にした。これによって上杉の領地を侵すものは許さないという形で物語の筋を通している。義を選択した上杉家主従が、その精神を今後も貫けるか期待したい。

「天地人」第38回、「ふたつの関ヶ原」

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第38回「ふたつの関ヶ原」が2009年9月20日に放送された。今回は関が原の合戦と長谷堂城攻めの2つの戦いが並行して展開する。
関が原の合戦は西軍に感情移入できるように描かれていた。結果が分かっているのに「小早川勢が動けば勝てるのに」と思ってしまうほど、ドラマに熱中することができた。関が原の合戦の趨勢を決したのは小早川秀秋(上地雄輔)の裏切りである。
裏切りの動機については石田三成の讒言によって領地を没収された恨みと徳川家康に取り成された恩義、家康を支持する高台院の意向と説明されることが多い。しかし、どちらのエピソードも「天地人」では描かれていない。反対に上杉景勝(北村一輝)が帰国する際は家康への不信感を表明しており、東軍に味方する動機は見えない。
秀秋は去就を迫る家臣に対し、「どちらとも戦いたくない」と言い放つ。これが後世、優柔不断と評される秀秋の実像に近いように思われる。東西両軍とも昨日までは同じ豊臣政権の家臣だった。それが互いに戦わなければならないことが異常である。秀秋は乱世において優し過ぎた武将と言えるかもしれない。
三成(小栗旬)は秀秋を味方にするために関白就任という餌を提示する。多くの作品では関白に魅力を感じた秀秋は東軍・西軍のどちらにつくか悩むことになる。これに対して、「天地人」はユニークである。
三成の口から関白の言葉を聞いた秀秋は関白秀次の無残な末路を想起する。これが裏切りを後押しする結果となった。「天地人」では豊臣秀吉の二人の養子として秀次と秀秋の運命を並列的に扱った。その伏線が関が原で活かされることになった。秀次に謀反の濡れ衣を着せる豊臣政権の失策が秀秋の裏切りにもつながる。因果応報の完成されたストーリーになっている。
「天地人」の秀秋は卑怯な裏切り者という既存のイメージを一新させている。景勝・兼続中心のドラマながら、脇役の人物設定にも奥深さがある。

「天地人」第39回、「三成の遺言」

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第39回「三成の遺言」が2009年9月27日に放送された。今回は石田三成(小栗旬)の処刑が中心である。三成の人物に対しても小栗旬という役者に対しても評価の上がる内容であった。
石田三成は、いつの間にか捕縛されており、あっという間に処刑されてしまう。ドラマの重要人物としては、あまりにもあっけない。しかし、その後にお船(常盤貴子)、福島正則(石原良純)、小早川秀秋(上地雄輔)によって三成との回想シーンが展開する。三成が処刑されることは歴史的事実として分かっていることである。それを早めに出し、後から三成の想いを小出しに明らかにしていくのは巧妙な演出である。
「天地人」では東軍の豊臣恩顧の武将として正則と秀秋しか登場しない。歴史として関が原の合戦を語る上では物足りないが、二人に集約することで感情を丁寧に描くことができた。
正則が三成と酒を飲むシーンは味がある。正則と三成は犬猿の仲とされることが多いが、かつては同じ釜の飯を食べ、秀吉への忠誠を競い合った仲である。行き違いから溝が拡大してしまったが、腹を割って話せば分かり合うことも不可能ではないように感じられる。そのような「IF」が自然に感じられるシーンであった。
また、三成は秀秋には牢屋を開けて自分を逃がすよう迫る。処刑前に「柿は痰の毒であるのでいらない」と断ったエピソードが象徴するように史実の三成は最後まで諦めない存在である。それに比べると「天地人」の三成には諦めが良過ぎるところがあった。この点で脱獄して家康に再戦を挑もうとする三成には史実らしさがあった。
「天地人」の徳川家康(松方弘樹)は完全な悪役である。これまでは本心を隠して芝居に長けた狸親父であった。ところが、関が原の合戦の勝者となると傲岸になり、主君である豊臣家の領土削減を咎められても開き直る。強者にはへりくだり、弱者には尊大に振舞う。虫唾が走るキャラクターである。これによって、義を重んじる三成や上杉景勝(北村一輝)・兼続(妻夫木聡)が一層光り輝いてくる。「長いものに巻かれろ」の江戸時代において上杉家の義の貫き方に注目したい。

「天地人」第40回、「上杉転落」

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第40回「上杉転落」が2009年10月4日に放送された。今回は上杉家が会津120万石から米沢30万石に減封される。
徳川家康に謁見した景勝(北村一輝)と兼続(妻夫木聡)は謝罪を拒否し、毅然とした態度を貫く。上杉家の揺るがない義の精神に心を揺すぶられた福島正則(石原良純)と小早川秀秋(上地雄輔)は上杉家を取り潰しにさせないために動く。裏切りの償いとして正しいことをしておきたいと語る秀秋が感動的である。誰もが景勝や兼続のように強くはないが、それでも正しいことができることを示している。
秀秋の申し出により、淀(深田恭子)が家康に上杉家への寛大な措置を依頼することになる。史実では淀が上杉家を救う動機に乏しいが、「天地人」では景勝(北村一輝)の正室・菊姫(比嘉愛未)と意気投合した(第31回「愛の花戦」)。過去のエピソードを活かす好脚本である。
淀の頼みも袖にした家康であったが、秀頼が幼いながらも、家康を呼び捨てにして意見する。子役の好演が光るドラマである。これによって家康は秀頼の器を脅威と感じ、大阪の陣につながる。但し、上杉家の家名存続に豊臣家側の働きかけがあったとすると、後に上杉家が大阪の陣に参陣することを、どのように合理化するかが気になるところである。兼続の弟子を自称する真田幸村(城田優)との関係も見どころになる。
前年の大河ドラマ「篤姫」と「天地人」は共に高視聴率ながら、ホームドラマ色の強い演出を除けば時代も場所も異なるドラマである。しかし、今回の放送で意外な共通点を発見した。篤姫も兼続も転落する側を見事に演じたことである。動揺する家臣を落ち着かせる兼続(妻夫木聡)は江戸城明け渡し前の篤姫と重なる。
兼続や篤姫のようなポジションこそ現代日本で求められているものである。これまで日本はアジアの一等国、経済大国、有色人種で唯一のサミット加盟国と自惚れてきた。しかし、気がつけば中国に早晩追い抜かれる。矜持だけは失うことなく新しい時代に適応するために縮小均衡する。兼続や篤姫の生き方は現代日本のモデルであり、彼らが大河ドラマの主人公となったことにも時代の影響が感じられた。

「天地人」第41回、「上杉の生きる道」

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第41回「上杉の生きる道」が2009年10月11日に放送された。今回は会津百二十万石から米沢三十万石へ減封された上杉家の苦労を描く。
石高が4分の1に減少したにもかかわらず、上杉家は一人の家臣の召し放ちもしなかった。安易な首切りをリストラと勘違いする現代の経営者には爪の垢を煎じて飲んで欲しいくらいの美談である。しかし、百二十万石の家臣を三十万石で養うことは口で言うほど簡単なことではない。その大変さが今回の放送で描かれる。
困難を乗り切った要因として、重臣が率先して身を切ったことが挙げられる。米沢城下を洪水から守る松川の石堤は民政家としての兼続の才覚を示すものだが、ドラマでは兼続(妻夫木聡)が直江家も工事費用を負担すると説明した。また、家臣から開墾に加わる者を募ると、重臣の桜井晴吉(松尾諭)が引き受ける。人件費を削り、役員報酬だけは増加する現代日本の会社経営とは対照的である。
関が原の敗戦の影響は兼続の家族にも及ぶ。上杉家生き残りのために徳川家康の重臣・本多正信(松山政路)の次男・政重を長女・お松の婿とする。これは長男・竹松(加藤清史郎)の廃嫡を意味した。ショックを受ける竹松を惣右衛門(高嶋政伸)が諭す。小姓としての出仕を命じられ、親に捨てられたと感じた樋口余六(後の兼続)と重なるシーンである。余六と竹松が同じ子役という点も味がある。父子孫と三代に渡る親子の絆が描かれた。
その惣右衛門の最後は穏やかであった。上杉家の内政を支えた立役者であり、兼続を支え続けた父親であった。秀頼の将来を案じた豊臣秀吉、無念の石田三成、裏切りを苦にした小早川秀秋と比べて安らかな最期であった。自分が行うべきことを全うしたという充足感に満ちていた。理想の死に方の一例を表している。

「天地人」第42回、「将軍誕生」

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第42回「将軍誕生」が2009年10月18日に放送された。今回は徳川家康(松方弘樹)の征夷大将軍宣下と上杉景勝(北村一輝)の正室・菊姫(比嘉愛未)の死である。
「天地人」は時代劇ながらホームドラマ的要素の強い作品である。今回も歴史の動き(豊臣家の家臣である家康が武家の棟梁となったことへの上杉家の対応)とホームドラマ要素(夫婦愛)を調和させたストーリーになった。
今回の白眉は兼続(妻夫木聡)が家康に謁見するシーンである。本来は景勝が謁見する筈であったが、菊姫が病気で倒れたため、景勝は菊姫のいる伏見に急行した。家康は兼続に景勝の不在を責める。景勝が上方に行った理由を豊臣家と陰謀を企むためではないかと邪推までする。これに対する兼続の反論が爽快であった。妻の看病に赴くことが上杉の心であると主張する。そして家康に「天下を治める心があるならば、いかに親子、血縁の絆が大事かということを理解してほしい」と物申す。
家康は政務を欠席してでも妻の看病に行くことを理解できない俗物として描かれている。それが史実の家康であるかは別として、利益や権力という要素でしか物事を考えられず、人情や感情が人を動かす原動力になることを理解できない人間が存在することは確かである。そのような人物に愛の価値観を堂々と貫く兼続は見事である。
「天地人」は非常に難しいドラマである。結果論では会津120万石から米沢30万石に減封という成功とはいえない人生である。しかも、それは関が原で西軍が敗北した結果であり、上杉家が死力を尽くして戦った結果ではない。しかも上杉家は敵対した家康の臣下として存続する。真田幸村のような壮絶な最後もない。
また、「天地人」は義や愛というテーマを掲げている。世渡り上手というのも生きるか死ぬかの乱世においては重要な才覚であり、それをドラマにすることはできる。しかし、それでは義や愛というテーマと矛盾してしまう。江戸幕府という現実に妥協した兼続を義というキーワードで一貫性を持たせることは困難である。実際、実頼(小泉孝太郎)は家康の将軍就任の挨拶に行く兼続を非難する。そこに一貫性を持たせる答えとなるものが家族への愛になると感じられた。

「天地人」第43回、「実頼追放」

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第38回「実頼追放」が2009年10月25日に放送された。今回は兼続(妻夫木聡)と一緒に歩んできた大国実頼(小泉孝太郎)が追放される。
プロローグでは実頼が兼続と対立する背景が説明される。実頼は豊臣秀吉から直接官位をもらっており、豊臣家に恩義を感じているため、徳川に臣従する兼続の方針が理解できない。特に兼続(妻夫木聡)の長女・お松(逢沢りな)と本多正信(松山政路)の次男・政重の婚儀は直江家を本多に差し出すことに等しく、受け入れられなかった。
一方でドラマ本編の実頼の言動は無定見にも描かれている。酔った福島正則(石原良純)に上杉家が腑抜けになったと嘲られ、自らも昼間から深酒を飲む。実頼は本多正信(松山政路)への挨拶の席上で婚儀を勝手に断ってしまうが、それは熟慮の上というよりも突発的な発言であった。しかも、自分の言動が上杉家を窮地に陥らせたことも十分に理解していない様子であった。
上杉家のモットーとする義を利(御家存続)と対立する概念と位置付けた場合、兼続よりも実頼の主張の方が正統派である。しかし、実頼の言動は思いつきベースの無責任な鬱憤晴らしである。それ故に兼続の言葉に重みを感じてしまう。
実頼の無礼を口実に徳川家では上杉家を取り潰す算段を始めた。「天地人」の徳川家康(松方弘樹)は徹底的にヒールに描いている。天下を簒奪する野心家として家康を描く作品は珍しくない。むしろ家康は山岡荘八『徳川家康』によって美化され過ぎており、野心家の方が等身大の家康に近い。このため、腹黒い野心家であるだけならば違和感は少ない。
「天地人」の家康が従前の家康像と大きく異なる点は、相手の器を認めないことにある。上杉家を存続させる理由も「上杉家は気骨ある家だから、潰すのは惜しい」ではなく、「上杉をしゃぶり尽くすぞ」であった。このために「天地人」の家康は小人物に見えてしまう。これは徳川家康ファンから不満が出るところである。しかし、まだまだ上杉家は綱渡りを強いられる状態であり、家康が物分りのある大物になってしまったならば作品の緊張感がなくなる。「天地人」の家康としては好設定になっている。
兼続は実頼に高野山追放を言い渡す。兼続は義の心を守るために徳川の世で上杉家が生き残る道を選択した。そして実頼にも「生きて罪を償えばまた道が開ける」と説得した。この兼続には「生きる」という点で一貫性がある。

「天地人」第44回、「哀しみの花嫁」

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第44回「哀しみの花嫁」が2009年11月1日に放送された。今回は本多政重(黄川田将也)が直江家に婿入りする。政重とお松(逢沢りな)、政重と兼続(妻夫木聡)、政重と竹松(加藤清史郎)の対話が感動的である。
政重は徳川家の間者として婿入りしたようなものであり、自分の立場と素直になれない性格から心を開かない。これに対し、妻のお松は本当の夫婦として絆を深めることを希望する。そのお松に母親のお船(常盤貴子)は「絆とは相手に何をしてあげられるか思い続けること」と諭す。
「天地人」のテーマになっている義や愛は美しい言葉である。しかし、自分勝手で独り善がりな主張を正当化する口実に持ち出される場合もある。例えば正義の戦争という言葉には胡散臭さが含まれる。この点で「相手に何をしてあげられるか」というお船の言葉には重みがある。義や愛の主張者が間違った方向に突き進まないために必要な要素である。
今回の放送のもう一つの軸は為政者の目的をめぐる兼続と伊達政宗(松田龍平)のやり取りである。政宗は天下を取ることが戦国武将の野望であり、徳川家康(松方弘樹)から秀忠(中川晃教)への将軍職継承による天下の乱れを好機と捉える野心家として描かれている。これに対して、兼続は民の暮らしを守ることが大切と答える。後に政宗は米沢を訪れ、「ここは一つの天下をなしている」と兼続を認めることになる。
元々、政宗は兼続のライバルとして描かれることが多い。政宗が自慢げに披露した大判を賎しい物として手に触れなかった話や挨拶をせずに通り過ぎたことを咎めた政宗に「戦場では後姿しか見ていなかったため、分からなかった」と言い返した話が残されている。これに対してドラマでは価値観の異なる者が理解することになる役回りを演じさせている。
史実では、この時代は戦国乱世から泰平の世への転換期にあった。他国を攻めて領土を拡大する時代は終わり、どの大名も新田開発など自藩の領国経営に注力していた。実際、「天地人」の政宗は米沢城の無防備ぶりを笑うが、政宗自身も居城・仙台城に天守閣を築いていない。兼続のスタンスは特殊ではなく、時代の主流であった。
この点で「天地人」には兼続を良く見せるために政宗ら他の登場人物を貶めているという批判が該当する。一方で兼続の思想を描く作品として捉えるならば、異なる価値観を持っていた政宗が兼続の国づくりを見て理解するという展開は完結した物語になる。「天地人」は好き嫌いが分かれるドラマであるが、その理由が明確に感じられた放送であった。
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