中野相続裁判 の書評 / 中野新井 / 中野新井 / |本が好き!
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中野相続裁判
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弁護士の交渉の杜撰さに起因して、泥沼に陥った相続紛争の事例を紹介する。被相続人が2007年に亡くなり、配偶者は既に他界しているため、被相続人の財産は三人の子どもが相続することになった。長男(被告)・長女(原告)・次女である。
被相続人の死後に長男は被相続人所有不動産が自分に生前贈与されていると明かした。さらに死後に遺言書を発見したと主張した。それによると、遺産となる預貯金の多くを長男、茶道具の全てを長男の配偶者に遺贈していた。相続財産の大部分を占有する長男夫婦が協力しないため、正確な相続財産の目録も評価もできていないが、生前贈与・遺贈通りとなると長女側の計算では遺留分さえ侵害されることは明白であった。
そのため、長女は2008年2月、長男及び配偶者の両者に民法1031条に基づき、内容証明郵便で遺留分減殺を請求した。遺言書そのものの真贋も問題であるが、遺留分減殺請求には消滅時効があるためである。次女も2008年8月26日に遺留分減殺請求を行ったとされる。
長女の遺留分減殺請求に対し、3月13日付の内容証明郵便で同一の弁護士法人に所属する4人の弁護士が、長男の代理人として委任を受けたことを長女に通知した。長女は長男の委任状の写しの送付を要求した上で、長男の配偶者に対しても遺留分減殺請求を行っている点をファックスで指摘した。これに対し、長男の弁護士は3月19日に配偶者とも委任契約を締結したと返信した。ところが、あわせて送付された委任状の写しが問題であった。
3月18日付の委任状には委任の内容として「被相続人○○にかかる相続における交渉の一切」と書かれていた。これは先に送付された3月5日付の長男の委任状と同内容である。しかし長男の配偶者の委任内容としては不適切である。
長男の配偶者は相続人の配偶者に過ぎず、相続人ではない。長男の配偶者にとって長男の母は被相続人ではなく、被相続人の財産を相続することもない。従って長男の配偶者が被相続人の相続について交渉権限を弁護士に委任すること自体があり得ない。
すぐに長女は上記問題を弁護士に指摘した。配偶者本人宛も含む複数回の催促を経て、半月後の4月7日に法律事務所から委任内容を「○○にかかる遺贈における交渉の一切」と修正された委任状の写しが送付された。
本件で驚かされる点は基本的な事実関係すら把握することなく、弁護士が委任状を受け取り、それを交渉の相手方に送付していることである。委任状は依頼者が作成して弁護士に交付するものだが、法律事務所で原型を用意し、依頼者は必要な箇所を埋めて捺印するだけという形が通常である。書く内容も弁護士側が指導する場合が多く、誤りが生じないようにしている。それにもかかわらず、相続人でもない人間に対し、相続に関する交渉権限を委任させることは信じ難い。
しかも修正前と修正後の委任状では依頼人の印鑑が全く別物になっている。修正前の委任状では印影の字体が印相体で、高級な印鑑を使用していた。ところが、修正後の委任状では印影が三文判にあるような普通の字体となっている。
委任状は代理権を授与するものである。代理人の法律行為は本人に帰属する。たとえ本人が承知していなくても、代理権を委任した者の行為ならば本人が責任を負わなければならない。それだけ委任状の作成は慎重にしなければならないものである。
ところが本件では慎重さがみられない。依頼者は弁護士任せで、法律事務所側も定型的な処理として委任状を受け取るだけである。委任状の内容が適切であるか熟慮したとは思えない。
長男夫婦が委任した弁護士法人のウェブサイトによると、市民に身近な法律事務所を目指しているようである。普通の人にとって弁護士への相談は敷居が高いと指摘されており、一見すると悪いことではないように思われる。
しかし敷居の低い法律事務所にした結果、本件のような杜撰な委任状が作成されるならば依頼人が損害を被る危険もある。積極的に宣伝広告し、相談しやすさをアピールする弁護士の問題が指摘されている(林田力「宇都宮健児日弁連新会長の課題はモンスター弁護士の排除」PJニュース2010年3月27日)。
弁護士の質の低下も指摘されており、弁護士だからと無条件に盲信するのではなく、疑う必要があることを示している。
その後の弁護士の交渉も問題であった。弁護士は当初、会って話をすることを提案したため、長女は都合の良い日時・場所を返信した。ところが、驚くべきことに弁護士は自分から提案したにもかかわらず、当面はスケジュールが埋まっているため、書面のやり取りをしたいと2008年3月19日付けで回答した。
その後、一度も面談交渉はなされていない。長女側は上述の委任状の問題点を粘り強く指摘したために、簡単に丸め込める相手でないと感じて慎重になっているのではないかと推測する。
弁護士は4月11日付ファックスにおいて、長男夫婦に100パーセントの寄与分があることを主張し、遺留分減殺請求には理由がないと主張した。「遺留分算定の際の相続財産は、被相続人の財産形成に寄与のあった相続人の寄与分を控除したものであるところ、Y1氏(長男)の寄与分を控除すればA氏(被相続人)の相続財産は存在しない」と。
これに対し、原告は以下のように反論した。
第1に長男夫婦は被相続人と同居していただけで、寄与の事実はない。寄与によって財産が増大したとの具体的説明もなされていない。
第2に寄与分は相続人が対象であり、長男の嫁は対象外である。
第3に遺留分額の算定に、寄与分の有無が影響を及ぼすことはない。寄与分があるから遺留分がないとの論理は成り立たない。
第4に寄与分は相続開始時の財産から遺贈を控除した額を超えることができない(民法第904条の2第3項)。遺言書が有効とすると財産の大半が遺贈されており、原告の遺留分を否定するだけの寄与分が成立することはない。
これに対する5月2日付の弁護士の再反論が粗末であった。第3の遺留分算定に寄与分は影響しないという点について、「簡明な説明のために厳密な表現を用いなかった」と釈明する。寄与分が認められるならば、寄与分に対しては遺留分減殺請求できないと主張したいようである。しかし、これでは先の主張(遺留分は相続財産から寄与分を控除して算定する)とは全く別の意味になる。
そもそも寄与分という法律上の言葉を使う以上、正しい意味で使用しなければならない。「厳密な表現を用いなかった」は法律を曲げて都合のいい主張をしたことの言い訳でしかない。仮に長女が「弁護士の主張することだから」と真に受けてしまったならば大損害を被るところである。
さらに驚くべきは弁護士による以下の文言である。「貴殿がY1氏やY2氏(長男の嫁)の寄与を無視した主張や要求をされることは、遺言に込められたA氏の思いを踏みにじるものであり、A氏は悲しまれます。」
相続人が法律上保障された権利(遺留分減殺請求権)を行使することで、被相続人が悲しむと決め付ける。ここには法的根拠も論理性も存在しない。いったい、弁護士は生前に会ったこともない故人の感情を、どのような方法で確認したのか。
弁護士が所属する弁護士法人のウェブサイトでは、公正中立な立場ではなく、クライアントの利益を守るのが弁護士の責務という理念を掲げている。しかし顧客の利益を守ることは、全ての職業に求められる当然の責務である。弁護士が他の職業以上に世の尊敬に値する職業であるのは、顧客の利益を守る以上の要素があるためである。基本的人権を擁護し、社会正義を実現することが弁護士の使命である(弁護士法第1条)。
法律を無視し、相手方の権利を踏みにじり、ひたすら依頼人の利益を追求することは弁護士の責務ではない。実の親の感情を勝手に決め付けて攻撃する弁護士のやり方に、長女は非常に腹を立てており、懲戒請求も視野に入れていると語る。
この相続紛争は法廷で争われることになった。長女は8月27日に長男と配偶者を被告として東京地方裁判所に提訴した。生前贈与や遺贈が無効であるとして、相続人が相続持分の確認を求める訴訟である(平成20年(ワ)第23964号、土地共有持分確認請求事件)。
この裁判は民事第31部合議A係に係属し、志田博文(裁判長)、清水響、今村あゆみの3人の裁判官が担当した。第1回口頭弁論は2008年10月23日、東京地方裁判所・民事第712号法廷において開かれた。
口頭弁論では原告(長女)は本人が出席した。原告は弁護士をつけない、本人訴訟であるためである。一方、被告は欠席した。最初に原告が訴状を陳述し、被告が事前に裁判所に提出していた答弁書は裁判長によって擬制陳述(第158条)の扱いとされた。
答弁書を含む準備書面は相手方当事者に直接送付(直送)しなければならないと民事訴訟規則に定められている(第83条)。しかし、被告は答弁書を原告には送らなかった。そのため、答弁書は10月10日付になっているが、原告が答弁書の副本を受け取ったのは口頭弁論当日に裁判所書記官から渡されてである。
しかも答弁書は形式だけで実体のないものであった。答弁書は訴状に記載された原告の主張の一つ一つに対して反論があれば反論するものであるが、この答弁書の「請求の原因に対する認否」では「調査の上、追って主張する」と書かれてあるだけであった。
答弁書に「追って主張する」とだけしか書かないことで、反論の書面の提出締め切りが第2回口頭弁論の1週間前までに延長される。そのため、原告の態度硬化を覚悟するならば、時間稼ぎをしたい被告にとっては有効な戦術である。
この場合、どのように取り繕っても、実体がないことは隠しようがない。原告の印象を一層悪化させるものであることは避けようがないため、変な言い訳をせず三行半的に「追って主張する」とだけ書いて突き放すことが普通である。ところが被告の答弁書では、わざわざ「調査の上」と書いている。これは原告から見れば非常に嫌らしいものである。
被告の代理人弁護士は原告が提訴する半年弱前の3月の時点で被告から「相続における交渉の一切」について委任されていた。提訴されて始めて訴訟代理人を受任した訳ではない。その前から相続問題の代理人を務めており、改めて調査する必要はない。形式だけの答弁書に「調査の上」と付けるのは蛇足であり、原告の感情を逆撫でするものであった。
口頭弁論では裁判長も被告の答弁書を「内容がない」と評し、被告の準備書面提出を待つとした。原告は裁判長に対し、「私の方は準備書面を提出しなくて宜しいでしょうか」と質問した。原告の主張は訴状に盛り込まれているが、訴状では事件の概要も説明しなくてはならず、どうしても概略的になってしまう。故に具体的な主張を準備書面にまとめて、証拠とともに提出する準備を進めていたためである。これに対し、裁判官は「被告が準備書面を提出する時期にもよるが、まずは被告が準備書面を提出してから」と応じた。
最後に裁判長は原告に対し、「裁判に至る前に被告の弁護士とは交渉があったのか」と質問した。原告は以下のように回答した。
「内容証明郵便で面談を要求されたが、こちらが希望日時を返信すると面談は拒否された。ファックスで一方的な主張を送りつけられ、納得がいかないので提訴した。」
交渉決裂の経緯は訴状でも説明されているために裁判長も関心を抱いたものと思われる。その後、訴訟は第2回口頭弁論(12月4日)、第3回口頭弁論を経て、弁論準備手続きに移行し、既に10回以上行われている。
本訴訟は兄弟間の相続紛争であるが、家庭裁判所ではなく、地裁を舞台としているところが特色である。遺産分割の争いではなく、生前贈与や遺言の有効性が争点になるためである。また、遺産中に大量の茶道具類がある点も特色である。価格を算定しやすい有価証券や不動産と異なり、茶道具類の評価基準は明確ではない。同種事件の参考になるような判断がなされる可能性もあり、訴訟の展開が注目される。
母親の死後、生前贈与や遺贈が無効であるとして長女が長男と配偶者を訴えた訴訟(平成20年(ワ)第23964号、土地共有持分確認等請求事件)の第13回弁論準備手続が2010年10月21日、東京地方裁判所で開催された。ここでは税務署職員が納税申告書類を作成するかという新たな論点が浮上した。
弁論準備手続では原告・被告の双方が書証を提出したが、被告提出証拠・乙第87号証「土地及び土地の上に存する権利の評価明細書」を原告側が問題視した。2010年10月14日付の被告証拠説明書では乙第87号証の作成者を「中野税務署職員等」とするが、税務署職員が納税者の税務書類を作成することは常識的に考えられないためである。
この裁判では母親が所有していた中野区新井の土地の評価が争われている。被告は自己の主張を裏付けるために乙第14号証「土地及び土地の上に存する権利の評価明細書」を提出した。これには明らかな問題があった。被告証拠説明書(平成20年12月4日)で、作成者を「国税庁」としていたためである。
「土地及び土地の上に存する権利の評価明細書」は相続税又は贈与税の申告に際し、土地及び土地の上に存する権利の価額を評価するために使用し、相続税又は贈与税の申告書に添付して税務署に提出するものである。文書のフォーマットは税務署で配布されるが、内容を国税庁が作成することは常識的に考えられない。現実に乙第14号証は手書きで書かれたもので、国税庁の職印なども存在しなかった。
不審に感じた原告が2009年3月19日の第一回弁論準備手続きで追及したところ、被告は「国税庁が作成者である」と回答した。なおも追及したが「国税庁が全部書いた」と突っぱねた。原告が「国税庁の人が全部を書いたのですか」と尋ねると、被告は「そうだ、全部書いた」と力強く断言した。
原告は攻め方を変更し、乙第14号証が税務署に提出した書類であるのか尋ねると「提出していない」と回答した。それならば乙第14号証が国税庁から発行された文書であるのか尋ねると、用紙(土地及び土地の上に存する権利の評価明細書)は税務署備え付けのフォーマットを使用したと回答した。
その上で原告は乙第14号証に書き込まれた地形図を指して「この図は誰が書いたのですか」と尋ねた。被告は遂に「(図は)俺が書いた」と白状した。続いて「数字も俺が書いた」と国税庁作成との先ほどの発言が虚偽であることを自白した。この後、被告側から乙第14号証の作成者を被告と訂正する証拠説明書の差し替え版が送付された。
被告は乙第14号証の立証趣旨を「本件土地の評価額等」とした。これに対して原告は、乙第14号証は国税庁作成ではなく、被告が作成したものであることが判明した以上、何の証拠価値も有しないと攻撃した。その後、2010年8月26日に行われた第12回弁論準備手続において、裁判官は被告側に乙第14号証に代わる被告側の根拠となる証拠の提出を求めた。それを受けて提出された文書が乙第87号証である。
ところが、この文書の作成者も「中野税務署職員等」となっている。被告証拠説明書の「立証趣旨」には「納税申告時に税務署職員が被告の相談に基づいて作成した」と記載されている。
原告は中野税務署職員に確認したところ、以下のように税務署職員が作成することは絶対にあり得ないとの回答であった。
「納税者の申告書類を税務署職員が作成することは、法律上できない。うっかりして、税理士法にひっかかってしまうといけないから書き込んだりもしない。申告書類は、納税者の責任において納税者が作成するか、税理士が作成します。もし間違っていても税務署職員が、訂正、書き直しをしては、絶対にいけない。」
現実に税理士法では「税務書類の作成」を税理士業務とし(第2条)、税理士または税理士法人以外の者が税理士業務をすることを禁止している(第52条)。
また、税務署OBの税理士からも同様の回答であった。
「『ちょっと書いて下さい』とか言われても、決して書かない。税務署が書いた等と言われて、後で何かに使われるといけないから、私も部下には、くれぐれも注意するように言っていました。税務署職員が作成することはありえないです。」
この点について原告側は第13回弁論準備手続で追及したが、被告代理人は「本人もうろ覚えです」と回答を避けた。原告は真実を明らかにするために中野税務署への調査嘱託(民事訴訟法第186条)の申し立てに言及した。
母親の死後、生前贈与や遺贈が無効であるとして長女が長男夫婦を訴えた訴訟(平成20年(ワ)第23964号、土地共有持分確認請求事件)の当事者尋問が2011年1月17日14時から17時まで東京地方裁判所・民事610号法廷で行われる。入院中の母親の治療に最善を尽くしたかが問題になっており、終末医療と家族の意思という難問にも通じる裁判である。
当事者尋問は原告(長女)、被告(長男夫婦)の3名である。この裁判では多くの論点が存在する。所有権移転登記や遺言書の有効性が争われている。また、相続財産が不動産、株式、預貯金、茶道教室(稽古場)、茶道具、着物など多岐に渡っており、その評価が問題になる。
その中で母親の入院中の治療に最善を尽くしたかも問題の一つである。89歳の母親は2007年6月18日に倒れて入院した。7月に入ると回復に向かい、リハビリを開始した。医師からは退院を示唆されるまでになり、原告は退院後の介護施設を探していた。ところが、8月後半から病状が悪化し、9月8日に亡くなった。
母親の入院中は長男が医師とやり取りした。長男の陳述書は以下のように記載する。
「母が入院していた間、病院との話し合いの窓口はすべて私でした。医師も看護師も重大な用件についてはすべて私を通して話をしていました。」(乙第89号証「陳述書」22頁)
原告は長男が母親の治療に最善を尽くすように医師に依頼していたと信じて疑っていなかった。そのような原告にとって医師記録の内容は驚くべきものであった。
医師記録の8月20日には「family (son)は延命につながる治療を全て拒否。現在Div.で維持しているのも好ましく思っていないようである」と書かれている。長男(息子son)は母親の延命につながる治療を全て拒否し、点滴(Div.: Drip Infusion into Vein)で生命維持していることさえ好ましくないと考えているとある。医師記録は上記に続けて「本日にてDiv.終了し、明日からED(注:経腸栄養療法Elementary Diet)を再開する」と記す。長男の要望で点滴を終了したことになる。
長男は8月27日にも医師の勧める高度医療を拒否した。医師記録には「……変更、増強したいところであるが、familyはやんわりとであるが、高度医療は拒否されている」とある。
9月3日には母親の呼吸状態が悪化したが、長男は酸素吸入(O2 inhalation)も断った。9月3日の医師記録には「familyの要望どおり、O2 inhalationも行わない→当直時間帯のみ許可」とある。夜間のみ酸素吸入を行ったため、日中に症状が悪化し、夜間に持ち直すという状態が繰り返された。
さらに長男が入院中の母親の経管栄養の流入速度(注入速度)を速めたことも判明している。原告の指摘に対し、被告代理人は「長男が母親の点滴を早めたなどの主張をしておりますが、それは点滴ではなく流動食であり、何ら問題ないものです」と回答し、経管栄養(流動食)の流入速度を速めたことを認めた(平成20年7月4日付「ご連絡」3頁)。
経管栄養の流入速度を速めたことを「問題ない」とする被告に対し、原告は以下のように反論する(原告第3準備書面6頁以下)。経管栄養は医療行為であり、ミスをすれば患者を死に至らしめる危険のあるものである。医者が定めた流入速度を「時間がかかりすぎる」という理由で勝手に速めて良いものではない。
国立がんセンターはウェブサイトで経管栄養について「栄養剤の注入方法」と題して「1日の必要量・経管栄養剤の種類は患者の個別性があるため、患者氏名・栄養剤の種類・量・流入速度を医師の指示表と確認して準備します。」と記載している。流入速度が速過ぎて下痢など患者の症状を悪化させた例は多い。
現実に長男が経管栄養の流入速度を速めた後で母親は嘔吐している。「経過記録」の8月15日には「Bedに戻り臥位になった時嘔吐してしまう」と記録されている。その夜の16日1時過ぎにも嘔吐した。医師が診察し、医師記録には「原因判明するまでintubation
feeding(注:経管食事法)は中止し、Div.(注:点滴)管理とする」と記された。その後、母親は点滴管理とされて小康状態になったものの、8月20日には前述のとおり、生命維持を長男が好ましく思っていないと記され、点滴を終了した。
長男が経管栄養の流入速度を速めた後で母親が嘔吐したことに対し、被告は「点滴後、2時間以上も経過していたのであるから、点滴と嘔吐は一切関係ない」と反論する(被告準備書面(9)3頁)。しかし、原告は健康への悪影響が2時間以上経過後に現れることは珍しくないと再反論する。
2時間以上経過していることをもって「点滴と嘔吐は一切関係ない」と断定する科学的根拠は皆無である。そもそも医学的には投与後24時間以内に起こる嘔吐を急性嘔吐、24時間以降に起こる嘔吐を遅発性嘔吐と定義する。2時間以上経過した程度では立派な急性嘔吐であるとする(原告訴えの変更申立書(2)7頁)。
母親は倒れてから一度も自宅も帰ることもなく、僅か3か月弱の入院で亡くなった。現代日本の医療水準では半身不随になりながらも何年も生きる人が多いことを踏まえれば、これは非常に短い。実際、不治の病に侵された病人でも想像以上に長生きできるものである。以下の指摘がなされている。
「心臓、肺、肝臓の重篤な病気で余命六ヵ月診断した患者のうち、最も厳しい基準、最も確実に死ぬであろうという基準の下に選んでも、その選ばれた患者の過半数は六ヵ月後にも存命していた。」(池上直己「亡くなり方を考える」『慶応義塾創立150周年ブックレット 学問のすゝめ21』慶応義塾、2008年、30頁以下)
一頃は理想の死に方としてピンピンコロリ(PPK)がもてはやされた。ピンピン元気に生きて、コロリと死のうという意味である。しかし、最近ではピンピンコロリの危険性が指摘されている。ピンピンしていない老人はコロリと逝った方がいいというファシズム思想につながるからである。ピンピンコロリは高齢者当人の気持ちを無視した、周りの人や医療費削減を狙う厚生労働省の願望にも聞こえる。
実際、ニュースキャスターの阿川佐和子氏は最近、何人かの方から以下のような死に方を望むと言われたと紹介している。
「僕はがんのような病気になって、あと余命何年とか、何ヶ月とか言われることによって、自分が死ぬことに対していろいろな準備をし、部屋をきれいにしたり、財産を整理したり、子どもたちと交流したりして、家族もゆっくり覚悟をしたうえで、これで双方すっきりしたと言って死ぬほうがいい」(「パネルディスカッション 終末期のケアを考える」『慶応義塾創立150周年ブックレット 学問のすゝめ21』慶応義塾、2008年、73頁)
どこまで終末医療を家族の一部が左右できるのかという難しい問題が当事者尋問では浮かび上がることになる。