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林田力『東急不動産だまし売り裁判』新聞 相続・裁判

 

相続紛争... 1

土地所有権移転登記の登記申請書を閲覧した... 1

弁護士への委任状の杜撰... 5

相続紛争で、何でもありの弁護士交渉... 6

【裁判】相続紛争の第1回口頭弁論... 8

相続・裁判... 9

遺言は優遇されるべきか... 9

一澤帆布の泥沼相続紛争は遺言が罪つくり... 10

柏で遺言執行者の意義と役割の講演会... 11

書評... 12

相続紛争は何故起こるか... 12

『遺言執行』本格的リーガル・サスペンス... 13

裁判... 14

恫喝訴訟の対策... 14

「金色のガッシュ!!」雷句誠が小学館を提訴... 17

『福田君を殺して何になる』仮処分事件での陳述書の信憑性... 20

ある刑事判決にみる労働法の意義... 21

不毛な相談に気をつけよう... 22

法律・書評... 23

弁護士なしでの裁判体験談『訴えてやる!』... 23

『女子弁護士 葵の事件ファイル』岩崎健一著... 24

『京ガス男女賃金差別裁判 なめたらアカンで! 女の労働』を読んで... 25

【書評】『千一夜の館の殺人』ありそうでない弁護士探偵... 27

ネット問題... 28

弁護士の不適切なブログ記事削除要求で被害拡大... 28

2ちゃんねる削除ルールで仮処分濫用... 29

エクイティ... 30

 

 

相続紛争

土地所有権移転登記の登記申請書を閲覧した

登記 不動産 法務局

登記原因証明情報に思う

東京法務局中野出張所(中野区野方)にて土地所有権移転登記の登記申請書を閲覧した。

通常の場合、例えば不動産を購入する場合などは登記簿謄本(全部事項証明書)を取得する。これによって土地についての権利関係を確認できる。登記には権利推定力が認められている。即ち、登記簿の内容は実際の権利関係に合致していると推定される。このため、登記簿の内容は一応、信頼できる。

しかし、現実には実際の権利関係とは異なる登記は存在し得る。これは登記手続きでは形式的な書類審査しか行わないためである。住民票や実印、印鑑証明書、権利証(登記識別情報)を無断で借用または偽造できるならば、登記できてしまう。この結果、自分名義の筈の土地が登記簿上は譲渡されてしまったり、抵当権が設定されてしまったりという事態が起こりうる。このようなことを行う犯罪者は地面師と呼ばれる。

このような場合、先ず登記簿を調べることになるが、登記簿に記録された権利変動に不審点がある場合、どのような形で登記申請がなされたのか調べる必要がある。調査の必要は相続問題でも生じうる。故人(被相続人)の所有(相続財産)と思っていた不動産が、相続人の一人または第三者に所有権移転されていたということもある。そのような所有権移転登記の原因となる契約などが実際に行われていることを相続人が知っていれば問題ないが、そうでなければ実体がないのに勝手に名義を変更したのではないかという疑いが生じる。

例えば相続対策として特定の相続人に不動産を生前贈与する例は少なくない。全相続人了解の下で生前贈与したならば問題ない。しかし、そうではない場合、同居の相続人が勝手に親の権利証や実印を利用して、被相続人の知らないところで登記したという疑いが他の相続人から生じ得る。このような場合に登記申請書を閲覧する必要がある。

登記簿は不動産に関する権利関係の公示が目的であり、誰でも確認できるものである。一方、登記申請書は登記申請するために申請人(の代理人)が作成し、法務局に提出した書類であり、閲覧は利害関係のある人に限られる。たとえば前述の相続の例ならば相続人である。閲覧中にメモをとることや写真撮影は認められるが、コピーをとることはできない。

法務局のカウンターで登記申請書の閲覧を希望すると、受付の人では対応の範囲を越えるためか、別の人に担当が代わった。最初に、どの申請書の閲覧を希望するのか尋ねられる。問題の不動産登記の全部事項証明書を提示し、閲覧したい登記申請の受付年月日・受付番号を答える。

続いて利害関係を聞かれたため、予め用意した戸籍全部事項証明書と身分証を提示し、土地所有者であった被相続人の相続人であることを説明する。申請書を渡されるので記入し、法務局内の印紙売場で購入した登記印紙(収入印紙とは別物)を貼り付けて提出する。しばらく待つと閲覧できる。

登記申請書は大体、以下のような内容になっている。

・登記申請書

・印紙貼付台紙

・登記義務者(不動産の譲渡人)の住民票

・登記義務者の印鑑証明

・登記義務者・登記権利者(不動産の譲受人)の司法書士への委任状

・登記原因証明情報

・登記権利者の住民票

・固定資産評価証明書

申請書を閲覧することによって、どの司法書士に依頼したのか、いつ司法書士に委任状を提出したのか、署名の筆跡などを確認できる。

閲覧する上で最も肝心な資料は登記原因証明情報である。これは不動産登記法第61条に定めた「登記原因を証する情報」である。登記の原因となった事実や法律行為を示す情報である。具体的には売買ならば売買契約書が相当する。売買契約書だけでは権利移転日が不明な場合、例えば契約書で残金支払い時を権利移転時と定めた場合は、売買契約書に加え、残金の領収書も必要になる。「登記原因証明情報」という名前の文書が求められている訳ではない。

前述の通り、登記官は書面審査しか行わないため、登記申請の内容が正しいか否かは、この登記原因証明情報の内容が申請内容と矛盾しないか否かによって判断される。これによって、書面審査しか行わないながらも登記の信頼性を高めることができる。

しかしながら、制度には抜け道もあり、登記原因証明情報という名前の文書を作成して登記申請されることが多い。これは登記の原因についての事実を記載したものに当事者が署名押印したものである。

例えば「乙は、甲に対し、平成××年×月×日、本件不動産の所有権を贈与し、甲はこれを受諾した」と書かれた登記原因証明情報と題する文書に譲渡人・譲受人が署名捺印するものである。文面は司法書士が用意し、当事者は署名捺印するためとなる。登記のために用意された文書であり、登記の原因となった契約などを調査するのは難しくなる。

売買契約書ならば売買代金、手付金の額、その他の契約条件など詳細な内容が書かれていることが多く、閲覧によって契約の内容をつかむことができる。しかし、「乙は甲に本件不動産を売却し、それによって権利が甲に移転した」というだけの登記原因証明情報では契約の実体は不明である。

以下、登記申請のために登記原因証明情報という文書を作成することの得失をまとめたい。

先ず社会的要請である。そもそも契約は意思表示によって成立するものであり、契約書の存在は必須ではない。口頭でも契約は有効に成立する(但し、宅地建物取引業者には書面の交付が義務付けられている。宅地建物取引業法第37条)。そのため、登記申請のために登記原因証明情報を作成する必要が生じる場合は否定できない。

一方で登記原因証明情報の添付が登記の信頼性を高めることを目的としていることを考えると、登記原因の実体を把握できる資料の方が望ましい。可能な限り生の資料を添付することが社会的要請といえる。

次に登記申請人(契約当事者)の立場で考えてみる。契約当事者にとっては登記とは関係ない売買代金のような情報を、法務局に保管される登記申請書に添付したくないという思いがある場合もあるだろう。この場合、登記申請に必要最小限の情報を記載した登記原因証明情報を新たに作成する方が望ましいことになる。

一方、契約書のような資料を登記原因証明情報とすることは申請人の権利を守るものでもある。契約書とは別に登記申請のために登記原因証明情報を作成するということは、契約書と異なる内容になってしまう可能性がある。相手方当事者と司法書士の悪意が介在すれば不可能ではない。その結果、契約書で意図したものと異なる内容で登記されてしまい、損害を被りかねない。

登記原因証明情報も自らが内容を確認した上で署名捺印するのだから自己責任と主張されるかもしれないが、実際問題として契約書に署名捺印する時ほど熟慮して、登記原因証明情報に署名捺印することはないだろう。専門家である司法書士に登記手続き上必要な書類と説明されれば「そういうものか」と署名捺印してしまいがちである。契約書を登記原因証明情報にすれば、たとえ司法書士に如何なる悪意があろうとも、契約書と矛盾する内容での登記はできない。

この点については記者に苦い経験がある。記者は東急不動産から購入したマンションの売買代金返還を求めた訴訟で、売買代金の返還を受け、登記原因を「訴訟上の和解」で所有権移転登記をするという訴訟上の和解を成立させた。ところが、和解の履行時期になって東急不動産側は登記原因を「和解」とする登記原因証明情報への署名捺印を要求してきた(参照「東急不動産、「和解成立」後も新たなトラブル」)。

これに対し、記者は和解調書を登記原因証明情報とし、和解調書どおりに登記申請することを主張した。最終的に記者の正論が通ったが、東急不動産の主張に従っていれば、和解調書とは異なる内容で登記されてしまうところであった。

最後に申請手続きを行う司法書士の立場を考える。司法書士にとっては登記申請用に作成したとは限らない契約書を使用するよりも、自ら作成した定型的な「登記原因証明情報」に記名捺印させた方が楽という発想がありうる。

しかし司法書士の職業倫理からすれば、登記の真実性を高める方法を選択すべきである。真実性を高めるとは単に自分が正しいことを行うというだけではなくて、第三者が事後的に確認できるように証跡を残しておくことも必要と考える。そうでなければ唯我独尊に陥ってしまう。

このように考えるならば登記原因証明情報に相当する資料が存在する場合は、それを登記原因証明情報として使用するのが法目的に合致すると考える。建築不動産業界には「手続きが通ってしまえば、それでいい」という発想が強いように感じられる。その極端な例が耐震強度偽装事件であった。登記申請のために作成された「登記原因証明情報」ばかりが利用されるならば、登記においても上記傾向に汚染されていることになる。

 

弁護士への委任状の杜撰

弁護士 委任状 相続

相続人でない者が相続問題を委任?

弁護士に交付する委任状が、実に杜撰な形で作成されているかを示す例があるので紹介する。問題は相続紛争(平成20年(ワ)第23964号 土地共有持分確認等請求事件)の提訴前の交渉時に起きた。被相続人が2007年に亡くなり、配偶者は既に他界しているため、被相続人の財産は三人の子どもが相続することになった。長男(被告)・長女(原告)・次女である。

被相続人の死後に長男夫婦が発見したと主張する遺言書では、主要な財産が長男とその配偶者に生前贈与・遺贈されていた。遺言書記載通りになると、遺留分さえ侵害される結果になるため、原告は20082月、長男及び配偶者の両者に民法1031条に基づき、遺留分減殺請求を内容証明郵便にて行った。

これに対し、313日付の内容証明郵便で弁護士法人アヴァンセ・リーガルグループ所属の4弁護士(金崎浩之、森山弘茂、吉成安友、中島賢悟)が、長男の代理人として委任を受けたことを原告に通知した。原告は長男の委任状の写しの送付を要求した上で、長男の配偶者に対しても遺留分減殺請求を行っている点をファックスにて指摘すると、319日に配偶者とも委任契約を締結したとの返信がなされた。ところが、あわせて送付された委任状の写しが問題であった。

318日付の委任状には委任の内容として「被相続人○○にかかる相続における交渉の一切」と書かれていた。これは先に送付された35日付の長男の委任状と同内容である。しかし長男の配偶者の委任内容としては不適切である。

長男の配偶者は相続人の配偶者に過ぎず、相続人ではない。長男の配偶者にとって被相続人は被相続人ではないし、被相続人の財産を相続することはない。従って長男の配偶者が被相続人の相続について交渉権限を弁護士に委任すること自体があり得ない。

すぐに原告は上記問題を弁護士に指摘した。配偶者本人宛も含む複数回の催促を経て、半月後の47日に法律事務所から委任内容を「○○にかかる遺贈における交渉の一切」と修正された委任状の写しが送付された。

本件で驚かされるのは基本的な事実関係すら把握することなく、弁護士が委任状を受け取っていることである。委任状は依頼者が作成して弁護士に交付するものだが、法律事務所で原型を用意し、依頼者は必要な箇所を埋めて捺印するだけという形になるのが一般である。書く内容も弁護士側が指導する場合が多く、間違えが生じないようにしている。それにもかかわらず、相続人でもない人間に対し、相続に関する交渉権限を委任させるのが信じ難い。

しかも修正前と修正後の委任状では依頼人の印鑑が全く別物になっている。修正前の委任状では印影の字体が印相体で、高級な印鑑を使用したものと推測される。一方、修正後の委任状では印影が三文判にあるような普通の字体になっている。

委任状は代理権を授与するものである。代理人の法律行為は本人に帰属する。たとえ本人が承知していなくても、代理権を委任した者の行為ならば本人が責任を負わなければならない。それだけ委任状の作成は慎重にしなければならないものである。

ところが本件では慎重さがみられない。依頼者は弁護士任せで、法律事務所側も定型的な処理として委任状を受け取るだけである。委任状の内容が適切であるか熟慮したとは思えない。

長男夫婦が委任した弁護士法人のウェブサイトによると、市民に身近な法律事務所を目指しているようである。普通の人にとって弁護士への相談は敷居が高いと指摘されており、結構なことであると考える。しかし敷居の低い法律事務所にした結果、本件のような杜撰な委任状が作成されるならば依頼人が損害を被る危険もある。弁護士のやることに間違えはないと思わない方が賢明である(初出「弁護士への委任状のずさん」オーマイニュース2008611日)。

 

080318ininB.JPG 修正前の委任状

080407ininB.JPG 修正後の委任状

林田力(200869日スキャン)

 

相続紛争で、何でもありの弁護士交渉

弁護士 相続 交渉

弁護士のレベルってこんなもの?

他界した被相続人の相続紛争に登場した驚くべき弁護士の主張を紹介する。相続人は長男、長女(原告)、次女の三人だが、長男夫婦が被相続人の死後に発見したと主張する遺言書では、主要な財産が長男とその配偶者に生前贈与・遺贈されていた。

相続財産の大部分を占有する長男夫婦が協力しないため、正確な相続財産の目録も評価もできていないが、遺言書通りとなると原告の相続分は遺留分の1/3弱となる。そこで原告は遺留分減殺を請求した。遺言書そのものの真贋も問題であるが、遺留分減殺請求には消滅時効があるためである。

これに対し、長男夫婦は弁護士法人アヴァンセ・リーガルグループ所属の4弁護士(金崎浩之、森山弘茂、吉成安友、中島賢悟)を代理人として委任した。弁護士は当初、会って話をすることを提案したが、原告が都合の良い日時・場所を返信すると、弁護士から当面はスケジュールが埋まっているため、書面のやり取りをしたいとの回答が2008319日になされた。

その後、現在に至るまで一度も面談交渉はなされていない。原告が別記事で書いた委任状の問題などを粘り強く指摘したために、簡単に丸め込める相手でないと感じて慎重になっているのではないかと推測する(参照「弁護士への委任状のずさん」オーマイニュース2008611日)。

弁護士は411日付ファックスにおいて、長男夫婦に100パーセントの寄与分があることを主張し、遺留分減殺請求には理由がないと主張した。「遺留分算定の際の相続財産は、被相続人の財産形成に寄与のあった相続人の寄与分を控除したものであるところ、Y1氏(長男)の寄与分を控除すればA氏(被相続人)の相続財産は存在しない」と。

これに対し、原告は以下のように反論した。

1に長男夫婦は被相続人と同居していただけで、寄与の事実はない。寄与によって財産が増大したとの具体的説明もなされていない。

2に寄与分は相続人が対象であり、長男の嫁は対象外である。

3に遺留分額の算定に、寄与分の有無が影響を及ぼすことはない。寄与分があるから遺留分がないとの論理は成り立たない。

4に寄与分は相続開始時の財産から遺贈を控除した額を超えることができない(民法第904条の23項)。遺言書が有効とすると財産の大半が遺贈されており、原告の遺留分を否定するだけの寄与分が成立することはない。

これに対する52日付の弁護士の再反論が粗末であった。第3の遺留分算定に寄与分は影響しないという点について、「簡明な説明のために厳密な表現を用いなかった」と釈明する。寄与分が認められるならば、寄与分に対しては遺留分減殺請求できないと主張したいようである。しかし、これでは先の主張(遺留分は相続財産から寄与分を控除して算定する)とは全く別の意味になる。

そもそも寄与分という法律上の言葉を使う以上、正しい意味で使用すべきである。分かりやすく説明したのではなく、法律を曲げて都合のいい主張をしたとしか思えない。もし原告が「弁護士の主張することだから」と真に受けてしまったならば大損害を被るところである。

さらに驚くべきは弁護士による以下の文言である。「貴殿がY1氏やY2氏(長男の嫁)の寄与を無視した主張や要求をされることは、遺言に込められたA氏の思いを踏みにじるものであり、A氏は悲しまれます。」

相続人が法律上保障された権利(遺留分減殺請求権)を行使することで、被相続人が悲しむと決め付ける。ここには法的根拠も論理性も存在しない。いったい、弁護士は生前に会ったこともない故人の感情を、どのような方法で確認したのか。

弁護士が所属する弁護士法人のウェブサイトでは、公正中立な立場ではなく、クライアントの利益を守るのが弁護士の責務という理念を掲げている。しかし顧客の利益を守ることは、全ての職業に求められる当然の責務である。弁護士が他の職業以上に世の尊敬に値する職業であるのは、顧客の利益を守る以上の要素があるためである。基本的人権を擁護し、社会正義を実現することが弁護士の使命である(弁護士法第1条)。

法律を無視し、相手方の権利を踏みにじり、ひたすら依頼人の利益を追求することが弁護士の責務とは到底思えない。実の親の感情を勝手に決め付けて攻撃する弁護士のやり方に、原告は非常に腹を立てており、懲戒請求も視野に入れていると語る(初出「相続紛争で何でもありの弁護士交渉」2008624日オーマイニュース)。

 

コメントありがとうございます

反対尋問における弁護士の嫌らしさはご指摘のとおりです。人間性を疑います。私は東急不動産との裁判で原告本人として尋問を受けましたが、東急不動産側の弁護士による反対尋問は卑劣でした。尋問に名を借りて、東急不動産から仕入れた私の年収や管理組合の理事長を務めていることを暴露しました。当然のことながら人間として許せません。

 

【裁判】相続紛争の第1回口頭弁論

生前贈与や遺贈が無効であるとして、相続人が相続持分の確認を求める訴訟の第1回口頭弁論が20081023日、東京地方裁判所・民事第712号法廷において開かれた。原告は私の母である。被告は原告の兄とその配偶者の二名である。

発端は2007年に他界した祖母の遺産分割である。相続人は長男(被告)、長女(原告)、二女の3人であるが、被告夫婦は遺言書を持ち出し、遺産の大部分を占める土地・茶道具と預貯金の過半が被告らに生前贈与・遺贈されていると主張した。これに対し、原告は生前贈与や遺贈が無効であると主張し、相続分の持分の確認を求めて827日に提訴した(平成20年(ワ)第23964号、土地共有持分確認請求事件)。

この裁判は民事第31部合議A係に係属し、志田博文(裁判長)、清水響、今村あゆみの3人の裁判官が担当する。口頭弁論では原告は本人が出席した。原告は弁護士をつけない、本人訴訟であるためである。一方、被告は欠席した。最初に原告が訴状を陳述し、被告が事前に裁判所に提出していた答弁書は裁判長によって擬制陳述(第158条)の扱いとされた。

答弁書を含む準備書面は相手方当事者に直接送付(直送)しなければならないと民事訴訟規則に定められている(第83条)。しかし、被告は答弁書を原告には送らなかった。そのため、答弁書は1010日付になっているが、原告が答弁書の副本を受け取ったのは口頭弁論当日に裁判所書記官から渡されてである。

しかも答弁書は形式だけで実体のないものであった。答弁書は訴状に記載された原告の主張の一つ一つに対して反論があれば反論するものであるが、この答弁書の「請求の原因に対する認否」では「調査の上、追って主張する」と書かれてあるだけであった。

答弁書に「追って主張する」とだけしか書かないことで、反論の書面の提出締め切りが第2回口頭弁論の1週間前までに延長される。そのため、原告の態度を硬化させたとしても時間稼ぎをしたい被告にとっては有効な戦術である。

この場合、どのように取り繕っても、実体がないことは隠しようがない。原告の印象を一層悪化させるものであることは避けようがないから、変な言い訳をせず三行半的に「追って主張する」とだけ書いて突き放すのが普通である。ところが被告の答弁書では、わざわざ「調査の上」と書いている。これは原告から見れば非常に嫌らしいものである。

被告の代理人弁護士は原告が提訴する半年弱前の3月の時点で被告から「相続における交渉の一切」について委任されていた。提訴されて始めて訴訟代理人を受任した訳ではない。その前から相続問題の代理人を務めており、改めて調査する必要はない筈である。形式だけの答弁書に「調査の上」と付けるのは蛇足であり、原告の感情を逆撫でするものであった。

口頭弁論では裁判長も被告の答弁書を「内容がない」と評し、被告の準備書面提出を待つとした。原告は裁判長に対し、「私の方は準備書面を提出しなくて宜しいでしょうか」と質問した。原告の主張は訴状に盛り込まれているが、訴状では事件の概要も説明しなくてはならず、どうしても概略的になってしまう。故に具体的な主張を準備書面にまとめて、証拠とともに提出する準備を進めていたためである。これに対し、裁判官は「被告が準備書面を提出する時機にもよるが、まずは被告が準備書面を提出してから」と応じた。

最後に裁判長は原告に対し、「裁判に至る前に被告の弁護士とは交渉があったのか」と質問した。原告は「内容証明郵便で面談を要求されたが、こちらが希望日時を返信すると面談は拒否された。ファックスで一方的な主張を送りつけられ、納得がいかないので提訴した」と答えた。交渉決裂の経緯は訴状でも説明されているために裁判長も関心を抱いたものと思われる。

次回期日は1241010分から同じ民事第712号法廷にて行われる。本訴訟は兄弟間の相続争いであるが、家庭裁判所ではなく、地裁を舞台としているところが特色である。遺産分割の争いではなく、生前贈与や遺言の有効性が争点になるためである。また、主要な遺産に茶道具類がある点も特色である。価格を算定しやすい有価証券や不動産と異なり、茶道具類の評価基準は明確ではない。同種事件の参考になるような判断がなされる可能性もあり、訴訟の展開が注目される。

 

相続・裁判

遺言は優遇されるべきか

日本の死者の中で遺言書を作成する割合は約7.5%である。これは以下の統計値からの算出による。

・日本の年間死亡者数 約108万人(厚生労働省「人口動態総覧」、2006年)

・自筆証書遺言の年間検認申し立て件数 約12600件(最高裁判所「司法統計年報」、2006年)

・公正証書遺言の年間作成件数 約69000件(法務省民事局、2005年)。

自筆証書遺言の年間検認申し立て件数と公正証書遺言の年間作成件数を合わせると約81600件であり、この値を年間死亡者数から除した。

但し自筆証書遺言が作成しても、家庭裁判所に検認の申し立てをせずに私的に開封してしまうケースもありうる。遺言書の私的開封は5万円以下の過料に処せられる違法行為だが(民法第1004条第3項)、露見しないケースも存在する。そのため、実際の遺言書作成数はもっと多くなる可能性があるが、法律の手続に従って遺言が処理されたケースにはならないため、本記事では無視する。

遺言書を作成する人が約7.5%程度という数字を多いと見るか少ないと見るかは人それぞれである。もし「少なすぎる」と感じた場合、「もっと遺言作成者を優遇すべきではないか」との問題意識が生まれる。本記事では「遺言作成者を優遇する必要はない」との立場で論じる。

遺言書は作成することができるもので、作成しなければならないものではない。民法では法定相続分が定められており、遺言がなければ、それに従って遺産分割を行えば済む問題である。そして民法の定める均等相続の原則は日本国憲法の定めた個人の尊厳や法の下の平等に従い、戦前の封建的家制度を解体するために定められたものである。

この点において遺言の位置付けは戦前と戦後では180度異なる。戦前は遺言が封建的な長子単独相続の例外となりうる制度であった。ここでは遺言を可能な限り有効に解釈することが家制度の不合理からの救済になった。これに対し、戦後は均等相続が原則となり、その民主主義的な原則を破る例外が遺言になった。ここでは均等相続に則った遺産分割が道徳的には期待されるものであり、それに背く遺言を優遇する必要はない。

現行民法にも事実婚(内縁)の配偶者や非嫡出子など法定相続では不利な扱いを受ける存在は残っている。彼らの救済のために遺言書が作成されることは結構なことである。しかし、遺言書を作成するか遺言書の内容をどうするかは遺言書作成者の恣意に委ねられており、事実婚の配偶者や非嫡出子の救済になるとは限らない。問題の本質は不合理な差別が残存していることであり、制度変更が王道になる。

以上より、遺言書作成者を優遇して遺言書作成を促進する必要性はないと考える。

 

一澤帆布の泥沼相続紛争は遺言が罪つくり

京都市の手作りかばん店・一澤帆布工業の相続をめぐる骨肉の争いには終わりが見えない。主要な対立は先代会長・一澤信夫氏の長男の信太郎氏と三男の信三郎夫妻の間で起きている。

2009623日の最高裁判決によって信太郎氏が保管していたとされる遺言書(第二遺言書)の無効が確定した。これで信三郎側の主張通りに決着すると思われたが、新たに信太郎氏側は7月1日、一澤帆布工業の代表取締役を一時的に中立的な第三者から選任することや、自身を取締役に選ぶことなどを求める仮処分を京都地裁に申し立てた。

泥沼の相続紛争は誰も歓迎しない筈であるが、根本的な問題は遺言書にあると考える。これまで遺言書を錦の御旗のように扱う傾向があった。最高裁判決で遺言書の無効が確定したことは、その傾向に一石を投じることになった。

無効とされた第二遺言書は以下のような不審点があった。

・平仮名の「さ」が従来と書き順が異なっている

・印鑑が実印ではなく、略字の「一沢」になっていた

最初は信三郎氏が原告となって第二遺言書の無効確認を求めて提訴したが、筆跡が似ている箇所があるため偽物とは言い切れないということで敗訴した。次に信三郎氏の妻・恵美氏が無効確認を求めて提訴し、上述の最高裁判決で無効と確定した。

信三郎氏の裁判では無効であると言い切れないため有効と、無効主張者に高いハードルを課した。これでは事実上、遺言書の無効を認められるケースはなくなってしまう。これに対して恵美氏の裁判では上述の不審点を積極的に認定して無効とした。裁判所が形式主義に陥らず、実質的に審査したことは評価したい。

世評は信太郎氏に厳しい。それは信太郎氏が「家督は長男が継ぐもの」という発想でいるためである(「敗軍の将 兵を語る」日経ビジネス2006417日号)。これは日本国憲法が法の下の平等を定め、戦前の家制度を解体したことに逆行する前時代的封建的思想である。このような信太郎氏が支持されないことは当然である。

しかし、これは信三郎氏側への支持を意味しない。信三郎氏側が根拠とする第一遺言書では信夫氏が保有していた一澤帆布工業の株式の67%を信三郎夫妻に遺贈させている。これが相続紛争の震源地であると考える。第一遺言書通りとすると約33%が妻の持分となる。相続人でもない信三郎氏の妻に約33%の株式を遺贈することは尋常ではない。これによって信太郎氏が態度を硬化させたものと推測する。

もともと遺言には説明責任を果たせないという致命的な欠陥がある。現代では他者に影響を及ぼす決断をした際には利害関係者の疑問に答え、説明を尽くすことが期待される。しかし、死後に開封される遺言では、それは不可能である。いわば遺言は現代における意思表示としては不完全なものである。遺言があるために相続紛争が長期化し、泥沼化している現実を直視することが円満解決の第一歩である。

 

柏で遺言執行者の意義と役割の講演会

柏相続研究会(古谷睦代表)が2009年11月15日に千葉県柏市のアビリティーズ・気まま館柏で「遺言執行者の意義と役割」と題する講演会を開催した。柏相続研究会は相続に携わる行政書士を中心とした勉強会である。今回の講演会の講師は行政書士の西野雅也氏で、遺言書には遺言執行者を指定しておくことが有利であると力説した。

最初に西野氏は公証人から遺言書には遺言執行者と報酬についての条項を入れた方がいいとアドバイスを受けたことが遺言執行者に関心を持ったきっかけと説明した。実際に遺言執行者となることで遺産の処理をスムーズにできたという。遺言執行者が規定されていない遺言書を持って遺産の処理を相談してくる人もいるが、その場合は処理が大変になる。

まず認知や推定相続人の排除・取消のように遺言執行者でなければ遺言執行者でなければできない行為がある。もし遺言執行者が定められていなければ相続人などが家庭裁判所に遺言執行者選任を申し立てなければならない。

また、遺贈や遺産分割方法の指定、寄付行為などは相続人でも執行できるが、遺言執行者が第三者の立場から忠実かつ公正に執行することで相続人間の紛争の緩和が期待である。遺産が不動産の場合は登記が必要になるが、遺言執行者ならば司法書士でなくても登記が可能である。動産の遺贈でも受遺者が勝手に持っていくことは許されず、遺言執行者が間に入って引き渡しすることで紛争を回避できる。

遺言執行者に就任した場合、速やかに相続人や受遺者に就任した旨を通知する。通知が遅れると、相続人が勝手に動き出し始め、紛争となる可能性がある。次に遺言執行者は相続財産のリスト(目録)を作成し、相続人らに交付する。遺言書に遺産の一覧が明記することが望ましいが、そのようになっていない遺言書もある上に遺言書作成時からの財産の変動もあるため、相続人らの協力により遺産を調査する必要がある。

最後に西野氏は相続紛争を避けるためには、単に遺言書を書けばいいというものではなく、公正証書遺言にして遺言執行者を指定すべきと主張した。家族と遺産分割方法を話し合っており、揉めないと分かっているならば自筆証書遺言でもいいが、自筆証書遺言は家庭裁判所の検認手続を経なければならず、相続人の負担になる。公正証書遺言ならば検認手続は不要である。遺言執行者の報酬は遺産総額の2〜3%が相場である。これが高いか低いかは人それぞれだが、裁判になることを考えれば安上がりとした。

会場からは活発な質問が出され、この分野への関心の高さをうかがわせた。遺言では遺産をどのように分けるかという点に関心が集中しがちであるが、仮に立派な計画を立てたとしても実現する手段が杜撰では画餅に帰す。このために遺言執行者の存在が重要になると感じられた。

 

書評

相続紛争は何故起こるか

『相続の「落とし穴」』を読んで

マネーのテーマで忘れてはいけない要素に、相続の問題である。人は一人で生きているわけではないのではない。どのような人にも両親は存在する筈である。それにもかかわらず、「相続紛争なんて金持ちの話で、うちには関係ない」と考える人は少なくない。

それが誤解に過ぎないことを本書は明らかにする。著者の肩書きは三菱UFJ信託銀行財務コンサルタントであるが、信託を勧めるというような商売っ気はない。何故相続で紛争が起こりやすいのか、紛争を回避するためにはどうすればいいか、を分かりやすく説明する書籍である。

相続問題は多くの一般人に関係のある問題であり、「普通の家族の相続が危ない」との認識が本書の出発点である。実は「相続で揉めている人は意外に多い」(48頁)。記者(=林田)の祖母の相続も紛争になっている(参照「相続紛争で、何でもありの弁護士交渉」)。

http://news.ohmynews.co.jp/news/20080620/26588

現在は相続持分の確認を求めた訴訟が東京地方裁判所に係属中である(平成20年(ワ)第23964号 土地共有持分確認等請求事件)。第3回口頭弁論が200925日午前10時から東京地方裁判所民事第712号法廷で開かれる予定になっている。

相続で揉めている人が多いにもかかわらず、耳にすることが少ないのは「相続というのは究極のプライバシーなので、よほど親しい親戚や友人でも、なかなか立ち入った話をすることはできない」ためである(48頁)。本書では現実に相続紛争が増加していることを家庭裁判所の相談・調停・審判の件数の統計データを引用して立証している。

著者は相続が揉める理由として「民法改正と権利意識の向上」を挙げる(51頁)。戦前の封建的な家制度の下では、長男が家督を継いで全財産を相続するために相続紛争が生じる余地は少なかった。戦後民主化の一環として民法が改正され、相続人の均分相続が定められた。さらに戦後の平等教育によって、男性も女性も長兄も末子も平等であるという意識が浸透したためとする。

この著者の主張は一面の真実であるが、全てを説明するものではない。相続人皆が民法の規定に従い、相続人に均分相続させるべきと考えているならば紛争は生じないためである。紛争は意見が対立するから起こる。相続人の一方は均分相続を期待するのに対し、他方は戦前的な長子単独相続が当然と主張するから紛争が生じる。その意味で「民法改正と権利意識の向上」は紛争の一因であるが、全てはない。法の下の平等や改正民法の価値観を受け入れようとしない人々が根強く残存していることも、相続紛争を生じさせる要因である。

また、本書では血縁の相続人同士よりも相続人の配偶者が口を出すことが紛争を激化させると指摘する(58頁)。上述の訴訟でも長兄の発見した遺言書において、全ての茶道具を血のつながっていない長兄の配偶者に遺贈していることが紛争を複雑にしている。

本書では相続紛争回避策として、「事前の話し合いが重要」とする(114頁)。これは的を射た主張である。被相続人没後に相続人の一人が遺言書を発見したとして提示しても、被相続人の意思で書かれたものか検証不可能である。そのため、紛争になることは目に見えている。上述の訴訟でも遺言書の有効性が争点の一つになっている。莫大な遺産があるわけでも兄弟仲が険悪でないにもかかわらず、相続紛争が起こってしまう原因が理解できる一冊である。

 

灰谷健司

『相続の「落とし穴」親の家をどう分ける?』

角川SSコミュニケーションズ

2008925日発行

173ページ

 

『遺言執行』本格的リーガル・サスペンス

本書(シェルビー・ヤストロウ著、森詠訳『遺言執行』集英社、1995年)は800万ドルに及ぶ莫大な財産を残した身寄りのない老人の遺言執行をめぐるリーガル・サスペンスである。著者は米国大手企業の法務担当役員で、本作品がデビュー作になる。

リーガル・サスペンスと称される作品は数多くあるが、単に弁護士を主人公とすることや、法廷で殺人事件の謎解きが行われるために分類される作品も少なくない。これに対して本書は遺言が有効か無効か、遺産の正当な帰属者は誰かという法的な争点を正面から扱う本格的なリーガル・サスペンスである。

このような本格的リーガル・サスペンスを書くことは想像以上に大変である。まず著者に法律知識がなければならない。より重要なことにストーリーに関係する法律の規定や訴訟手続きについて分かりやすく説明しなければならない。読者は小説を読みたいのであって、法学の教科書を読みたいわけではない。そのため、ストーリーの邪魔にならない形で簡潔に説明する必要がある。

記者も裁判トラブルのノンフィクションを出版した経験がある(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』)。この時も前提となる法律知識をどれくらい、どのような形(地の文か欄外コラムか)で表現するかについて編集者と議論した。この点、本書では地の文で分かりやすく表現しており、その書き方は非常に参考になった。

本書からはアメリカの司法制度が真実を追求し、権利を救済する本来のあるべき姿で運営されていることを痛感した。身寄りのない老人が遺言書を残して死亡したが、遺言書に従って粛々と遺言執行を行うことにはならない。まだ現れていない相続人の利益を守るために弁護士が任命され、遺言が有効であるかについて真剣に議論される。これは遺言書があることを錦の御旗のように扱う日本の一部の風潮とは対照的である。日本社会の法意識の低さも実感させられた一冊である。

 

裁判

恫喝訴訟の対策

恫喝訴訟 SALPP名誉毀損 損害賠償

攻撃は最大の防御

恫喝訴訟(SLAPP: Strategic Lawsuit Against Public Participation)の対策を検討したい。恫喝訴訟とは資金力のある大企業や団体が自らに都合の悪い批判意見や反対運動を封殺するために起こす訴訟で、高額の賠償金が請求されることが多い。最近ではオリコン株式会社がジャーナリストの烏賀陽弘道氏に対し、事実誤認に基づく名誉毀損行為があったとして、5000万円もの損害賠償ならびに謝罪の請求を求めた訴訟が、烏賀陽氏側から恫喝訴訟と批判されている。

恫喝訴訟は訴えられる側にとって大きな脅威である。提訴者の目的は相手を疲弊させ、言論活動を萎縮させることである。そのため、恫喝訴訟を起こされて、最終的に勝訴(請求棄却)したとしても、裁判に労力を奪われたことにより、元々の言論による批判や反対運動が疎かになったとしたならば、恫喝訴訟の提訴者の目論見は成功したことになる。

従って恫喝訴訟での請求が棄却されて全面勝訴したとしても素直に喜べない。恫喝訴訟の存在自体が不当であり、応訴に費やされる時間と労力は本来不必要なものでものである。勝訴に至るまでの時間と労力に思いを馳せれば、暗澹たる気持ちになったとしても無理はない。

そこで、恫喝訴訟を起こされた場合の対抗策を検討したい。大きく3点ある。

第1に反訴である。前述の通り、被告として勝訴するだけでは相手の不当な請求を否定するだけで、何の得るものもない。そのため、提訴を不法行為として、相手に損害賠償を請求する。いわば守るだけではなく、攻めに転じることになる。前述のオリコン訴訟では烏賀陽氏はオリコンに対し、訴訟権の濫用と名誉棄損を理由に1100万円の損害賠償請求を求める反訴を提起した。

第2に批判活動の活発化である。提訴者の目的が裁判での勝訴よりも、都合の悪い言論の封殺にある以上、提訴されても批判を止めない、反対に活発化させることで、逆効果であることを思い知らせるのである。インターネットの炎上で使われる言葉を借りるならば、恫喝訴訟の提訴を「燃料投下」と位置付ける訳である。

批判記事が多くの企業から訴えられた経験を持つジャーナリストの山岡俊介氏は以下のように語っている。「ひるんだらダメです。その後はとにかく『記事を書け!』というのが僕の鉄則です。そうすると企業は嫌がります。」(山中登志子「“強い者批判”のジャーナリスト山岡俊介氏 「あの企業はとんでもないと思って書いている」」)

批判活動を活発化させる場合、論点を広げることも有益である。何かの問題を批判していたために恫喝訴訟を起こされたが、同じ企業の別の不正についても批判の矛先を向けていく。ある点の批判に対し、名誉毀損なり営業妨害で恫喝訴訟を起こし、仮に当該批判を潰せたとしても、別の問題について批判されるならばイタチごっこであり、恫喝訴訟の目的は達成できない。山岡氏は上記インタビューで「僕は、裁判では負ける可能性があるかなと思っても、ほかのスキャンダルを探すことでやってきました。」とも語っている。

これは特に不正の被害者個人が告発する場合に有益である。被害者個人が告発する場合、当然のことながら自分が受けた不正について熱心に告発する。しかし、それにとどまると被害者一人の問題で終わってしまうことが多い。その結果、一人の問題で終わってしまい、恫喝訴訟を起こされても一人で苦しむことになる。

自分が受けた被害で苦しむ被害者にとって容易ではないが、企業活動全体について目を光らせ、当該企業の不正について継続的に告発していく。企業の問題体質を明らかにし、告発の公共性を高めていく。これが恫喝訴訟の予防にもなり、提訴された場合の対抗策にもなる。

批判活動の活発化という点では援軍の存在は心強い。第三者が批判の声をあげてくれることである。自社にとって都合の悪い批判を封殺するために恫喝訴訟を行ったのに、逆に注目が集まるならば提訴者にとって割に合わない。

この点で泰平建設株式会社(北九州市)によるノボリ等撤去の仮処分命令申立てに対する反応は興味深い。泰平建設はマンション「サンライフ足立公園」(北九州市小倉北区)の建築主だが、サンライフ足立公園は近隣住民(足立第一公団跡地マンション建設反対の会)から反対運動を起こされている。泰平建設は福岡地方裁判所小倉支部にノボリ、看板の撤去を求める仮処分命令を申し立てた。

これに対し、マンション建設反対運動に取り組む人々から抗議の声が上がっている。

鰭ヶ崎の住環境を守る会(千葉県流山市)

http://www.shibitozaka.com/mansion/top_img/nobori_saiban.pdf

流山市議会議員 民主・市民クラブ代表 藤井俊行

http://geocities.yahoo.co.jp/gl/nkxms857/view/20080113/1200183408

守谷の空を守る会(茨城県守谷市)

http://sky.geocities.yahoo.co.jp/gl/moriya_sora/comment/20080117/1200580130

「グランシティ八千代緑が丘マンション」計画の変更を求める会(千葉県八千代市)

http://griffon56.blog56.fc2.com/blog-entry-374.html

興味深いのは泰平建設とも北九州市とも直接関係しない人々が抗議している点である。泰平建設の申し立てが足立第一公団跡地マンション建設反対の会のみならず、マンション建設反対運動そのものに対する恫喝として映ったためと考えられる。九州を拠点に営業する泰平建設にとっては悪いイメージが遠く関東にまで伝わったことになる。

第3に弁護士に対する注目である。恫喝訴訟を実際に遂行するのは企業に雇われた弁護士である。そこで弁護士に注目する。

山岡俊介氏は、恫喝訴訟は企業が自主的に行っている訳ではないと語る。「側近、顧問弁護士などまわりから、『ほっとくのか!』と言われているんですよ。弁護士も訴えると金になりますから」(山中登志子「オリコンうがや訴訟6 アムウェイ、武富士、2ちゃん…裁判件数26の山岡氏「ひるむな、記事を書け!」」)

http://www.mynewsjapan.com/kobetsu.jsp?sn=685

弁護士は恫喝訴訟を遂行するだけでなく、恫喝訴訟を行う意思決定にも大きな役割を果たしていることになる。依頼人を説得して不法な目的の提訴を思いとどまらせるのが弁護士の使命の筈だが、弁護士報酬のために逆に勧める側になっている。

弁護士報酬には裁判の結果に関わりなく、事件の着手時に支払う着手金がある。高額の損害賠償請求訴訟のように訴額が大きければ着手金だけでも十分な金額になる。敗訴することになっても恫喝訴訟を勧めることが企業側の弁護士の利益になる。

そこで企業側の弁護士自身についても調査し、問題があれば批判する。恫喝訴訟で利益を得る以上、弁護士だけが批判を免れる謂れはないとの発想である。現実に企業イメージの一層の悪化をもたらすことが多いのに恫喝訴訟をする企業が多い。これは企業側が顧問弁護士の言葉を鵜呑みにして、自ら合理的な損得勘定ができていないのではないかと思われる。そこで恫喝訴訟への対抗策は企業側の弁護士にも目を向ける必要が生じる。

この点で興味深いのは出版社・株式会社鹿砦社の報道姿勢である。芸能プロダクション・株式会社バーニングプロダクションとその代表取締役社長・周防郁雄氏は雑誌『紙の爆弾』20073月号掲載記事が名誉を毀損するとして、発行元の鹿砦社とジャーナリストの本多圭氏に対し、3300万円の損害賠償を請求する裁判を起こした。

これに対し、鹿砦社側は恫喝訴訟として反発する。提訴を契機にバーニングプロダクションと周防郁雄氏への批判を強めたのみならず、バーニング側の代理人を務める弁護士の所属法律事務所についても矛先を向ける(デジタル紙の爆弾「芸能界の「番犬」ことヤメ検・矢田次男弁護士」)。

http://kamibaku.com/modules/weblog/details.php?blog_id=173

以上、恫喝訴訟の対抗策を検討したが、まとめるならば「攻撃は最大の防御」となる。萎縮したならば敵の思う壺であり、積極的に批判していくことが正しい対応策であると考える。本記事が恫喝訴訟で苦しむ人に多少なりとも参考に資するところがあれば幸甚である。

 

コメントありがとうございます。

御指摘のフージャースコーポレーションの件は別のところからも、うかがっております。なりふり構わない悪徳不動産業者の脅しには怒りを覚えます。

 

「金色のガッシュ!!」雷句誠が小学館を提訴

金色のガッシュ 雷句誠 小学館 裁判

提訴の背景にある憤りと法的主張のバランスが重要

人気漫画「金色(こんじき)のガッシュ!!」の作者、雷句(らいく)誠氏は200866日、原画を紛失されたとして、小学館に330万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。公開された雷句氏側の主張・立証内容には裁判を進める上で有益な点が見られる。

「金色のガッシュ!!」は小学館発行の漫画雑誌「週刊少年サンデー」に連載された漫画である。連載終了後に雷句氏が原画の返却を求めたところ、カラー原稿5点の紛失が判明した。紛失原画に対する賠償金額の交渉が折り合わず、提訴に至った。雷句氏は提訴日に自己のブログ「雷句誠の今日このごろ。」において訴状と陳述書(甲第13号証)を公表した(参照「雷句誠の今日このごろ。」)。

http://88552772.at.webry.info/200806/article_2.html

訴状では原画紛失に対する損害の賠償を裁判の争点として明確化した。一方で雷句氏自らが執筆した陳述書には提訴に至るまでの理由がまとめられている。この中には原画紛失とは直接結びつかない出来事も書かれている。訴状では法的主張に絞り、陳述書では紛争の背景を広汎に説明する二本立ての構えである。

記者は購入したマンションの売買契約を取り消し、売買代金返還を求めて東急不動産を提訴し、東京地裁で勝訴判決を得た(参照「東急不動産の遅過ぎたお詫び」)。

この裁判で記者が採った戦術も二本立ての構えであった。即ち、訴状や準備書面では法的主張(消費者契約法第4条第2項に基づき売買契約が有効に取り消されたこと)に特化し、陳述書では東急不動産や販売代理の東急リバブルの不誠実さをアピールした。奇しくも雷句氏と類似したことになるが、この方法は裁判において有益であると考える。

 

提訴の動機は尊厳の回復

雷句氏自らが執筆した陳述書は提訴に踏み切るまでの理由を綴ったものである。編集部員の非協力的で喧嘩腰の態度や社会人としてのマナーの無さに始まり、様々な出来事が述べられている。一貫しているのは「小学館と、その編集者が漫画家を見下している」という雷句氏の憤りである。これが提訴の根本的な動機であることが理解できる。

裁判の一義的な目的は法的紛争の解決である。しかし、一般に人は権利侵害があったというだけで訴えを起こそうとはしない。記者が東急不動産を提訴した動機も、一生に一度あるかないかの大きな買い物で、売ったら売りっぱなしで客を客とも思わない態度をとる東急不動産及び販売代理の東急リバブルへの怒りが大きな割合を占めていた。だから雷句氏の憤りは痛いほど理解できる。

記者の裁判は問題物件を売り逃げした東急リバブル・東急不動産に対する消費者としての尊厳を回復するためのものであった。同様に雷句氏の訴訟も漫画家としての尊厳を回復するためのものと言える。これは記者の推測になるが、一般の人が裁判を起こす場合はむしろ、このような背景がある場合の方が多いように感じられる。

提訴に至った憤りについて陳述書という形にすることは非常に重要である。前述の通り、裁判の一義的な目的は法的紛争の解決である。従って裁判による解決は権利義務の明確化という形にしかならない。このため、憤りを抱く当事者にとって容認し難いことであり、支持するつもりは毛頭ないが、裁判が権利義務の交渉・取引の場になってしまう場合があることは否めない。

もし法的紛争の解決という直接的な課題にしか目を向けず、提訴の原点にある憤りを忘れてしまったならば、裁判は裁判官と原告・被告の代理人弁護士の談合の場に堕す危険がある。このような解決では裁判手続きから疎外された当事者には不満が残る。従って、たとえ「争点と直接関係ない出来事を幾ら並べても、有利にならない」と言われたとしても、陳述書を証拠として提出することは意義がある。

記者も裁判では陳述書において「不誠実な対応を繰り返す東急不動産の物件には住んでいられない」と強く主張した。それがあったからこそ、控訴審・東京高裁における和解協議の場では売買契約の白紙撤回、裁判官の言葉では「返品」が前提となった。それ以外の解決策は検討すらされなかった。

また、東京高裁における訴訟上の和解で成立した和解条項には、和解調書の非公開義務や批判の禁止など原告(記者)の請求と無関係な内容が入る余地がなかった。これも感情的な問題が未解決であることを裁判官が認めた上で、訴訟上の和解の目的を純粋な法的紛争の解決のみに絞ったからである。

 

法的論拠の重要性

これまでは提訴の背景となった思いを明らかにすることの重要性を述べた。以下では法的論拠の重要性を述べたい。繰り返しになるが、裁判の一義的な目的は法的紛争の解決である。

いくら不誠実な対応を重ねられたとしても、それが具体的な権利侵害に結びつかなければ勝訴は困難なのが現状である。このこと自体が良いか悪いかという議論は別として、裁判の現実として押えておく必要がある。不公正な扱いを受け、人間としての尊厳の回復するために提訴する人は多いが、棄却や却下(門前払い)に終わる例が少なくないのも、このためである。

「これだけ酷い扱いを受けたのだから裁判官も同情してくれるよ」という類の甘い期待は危険である。裁判という形式で解決を求める以上、法的主張は法的主張として、しっかり行う必要がある。

雷句氏の裁判では、この点についても考えられている。恐らく雷句氏にとって「小学館は漫画家を尊重せよ」「小学館は反省せよ」というのが一番の要求になると思われる。しかし、それでは裁判上の請求にならない。

訴状では原画紛失に対する損害の賠償と争点を明確化している。記者の裁判においても東急リバブル・東急不動産の不誠実な対応は原告陳述書において様々な観点から糾弾したが、原告の請求としては消費者契約法第4条第2項の不利益事実不告知に基づく契約取消しの結果としてのマンション売買代金の返還請求一本に絞った。

特に雷句氏の訴状で注目すべき点は原画の価額算定は前例がないため、わざわざ類似のカラー原稿をネットオークションに出品して落札価格を調べた点である。雷句氏側が裁判官を納得させるためのロジック提示の努力を怠っていないことを意味する。

記者も東急不動産と裁判をする前に、仲介業者に物件の売却価格の査定を依頼した。隣地が建て替えられ、日照・眺望が妨げられたことによる資産価値の減少額を把握するためである。この種の活動も勝訴には必要である。

裁判においては提訴の背景になった憤りを明らかにすること、法的請求の根拠を示すことは車の両輪であり、何れも大切なものである。前者を明らかにしなければ提訴の原点を無視した結末になってしまう危険がある。一方、後者がなければ勝訴は難しい。

この意味で、陳述書では紛争の背景を明らかにし、訴状では法的争点を明確化する二本立ての構えは非常にバランスが取れたものである。記者にとって東急不動産との裁判は、問題物件の騙し売りで人生を狂わせる消費者が出ないことを願ってのものでもあった。同様に雷句氏も後進の漫画家の立場を向上させることを使命と陳述書で明らかにしている。裁判にかける雷句氏の強い熱意が感じられる。

 

コメントありがとうございます。

「某漫画家さんも、サンデーの扱いに「絶望した」」というコメントは上手いです。

 

コメントありがとうございます。

「文句があるならば読まなければいい」。まさに御指摘の通りです。

集英社は担当と漫画家のコミュニケーションが比較的良好のように思います。少女マンガ「りぼん」があるためかもしれません。

 

『福田君を殺して何になる』仮処分事件での陳述書の信憑性

光市母子殺害事件のルポタージュ『福田君を殺して何になる 光市母子殺害事件の陥穽』の出版差し止めなどを求めた仮処分について、広島地方裁判所(植屋伸一裁判官)は平成21年11月9日、申し立てを却下した(平成21年(ヨ)第183号 出版一時差止仮処分命令申立事件)。

これは光市母子殺害事件の被告人である「福田君」(以下、福田氏)が実名や写真が掲載されたとして、著者の増田美智子氏と出版社のインシデンツ(寺澤有代表)を相手に申し立てた事件である。仮処分決定は表現の自由や人格権、少年法など様々な論点に関係するが、事実認定における陳述書の信憑性についても興味深い視点を提供する。

本件では増田氏と福田氏の間に原稿を事前に確認させるという約束が存在したかが争われた。福田氏側は増田氏が約束を反故にして出版を強行したと主張した。対して増田氏及びインシデンツ(以下、増田氏ら)は事前に福田氏が実名記載を承諾しており、原稿の事前確認の約束はしていないと反論した。

仮処分決定は増田氏らの主張を採ったが、その事実認定では福田氏の陳述書がポイントとなった。陳述書は証拠の一種で、当事者や関係者の認識や体験を陳述した書面である。福田氏側は福田氏本人の陳述書を提出し、その中で約束があったと記述する。これに対して、増田氏らは陳述書の信憑性を形式・内容の両面から批判した。

まず形式面である。福田氏の陳述書はワープロ打ちであった。この点から増田氏らは陳述書が福田氏の真意ではなく、福田氏の弁護士が勝手に作文し、福田氏に署名させただけである可能性があると主張した。これに対し、福田氏側は改めて福田氏直筆の陳述書を提出した(山岡俊介「書籍『福田君を殺して何になる』を巡ってー仮処分に加え、本訴もした光市母子殺害元少年側」アクセスジャーナル2009年11月3日)。

次に内容面である。増田氏は福田氏の依頼に応じて、福田氏の知人が福田氏に宛てた手紙を第三者に見せないことを約束し、それを誓約書にして福田氏に差し入れている。ところが、原稿の事前確認については誓約書に相当する文書が存在しない。これは原稿を事前確認する約束が存在しなかったことを裏付ける。

増田氏らによる内容面の批判は以下のように、そのまま仮処分決定の事実認定の理由に使われた。「債務者増田から、本件知人から債権者(注:福田氏)に宛てた手紙を第三者に見せないことを約束する旨の本件誓約書を差し入れてもらっており、大事な約束事については書面化するとの考えは有していたことがうかがわれる」(仮処分決定書20頁)。

一方で形式面の批判も陳述書の信憑性を崩す上で有益であったと考える。福田氏の陳述書が弁護士の作文であり、事実と異なるとの主張は、『福田君を殺して何になる』が福田氏を害するものではなく、単に福田氏の弁護団(安田好弘弁護士ら)に都合の悪いものに過ぎないという増田氏らのスタンスを裏付ける上で重要な意味を持つ。

これは民事訴訟全般に通用する問題でもある。弁護士が作文する陳述書の問題点は、最高裁判所事務総局民事局の実情調査でも以下のように指摘されている。「陳述書の内容は、本人の供述を弁護士が加工したものが多く、あまり役に立っていない」(最高裁判所事務総局民事局「民事訴訟に関する地域の実情等」判例タイムズ1068号、2001年、49頁)。

裁判が書面偏重主義に陥り、証拠調べが形骸化してしまうと、文書の真正性が問題にされず、文書を出したもの勝ちになってしまう。そのような不公正を許さなかった点にも、この仮処分の意義がある。

 

ある刑事判決にみる労働法の意義

東京高等裁判所で2009年7月7日に言い渡された刑事事件判決(平成21年(う)725号傷害事件)は労働者にとって労働法の大切さを再確認させる内容であった。

この事件は企業を解雇された従業員が役員を殴ったとして傷害罪に問われたものである。被告人は暴行及び傷害の事実を否定し、無罪を主張した。これに対して一審東京地裁は有罪とし、20万円の罰金刑を言い渡した。被告人は控訴し、改めて自白の任意性や被害者の供述の矛盾などを主張したが、東京高裁は控訴を棄却した。

本件は被告人(元従業員)が未払い賃金の支払いなどを主張して役員に談判した中で起きた事件である。判決では被告人が従業員であると認定されたが、もともと役員側は被告人を従業員とは認めておらず、それが両者の対立の原因になっていた。

本件は刑事事件にならなければ典型的な労働紛争であり、経営者側に立つか労働者側に立つかという評価者の立場によって、どちらに同情的になるかが変わってくる。私は大手不動産会社から新築マンション購入時に不利益事実を隠して問題物件をだまし売りされた経験がある(「マンション販売トラブルで「お詫び」 東急リバブル・東急不動産」)。この経験によって企業への不信と虐げられた側への共感が植えつけられており、本件も労働者の立場で考えがちである。

http://www.news.janjan.jp/living/0710/0710023335/1.php

たとえば判決では被告人が役員の義父の通夜に押し掛けて談判したことを被告人の悪質さとして評価した。しかし、労働者の立場に立てば、役員は被告人が従業員であることすら認めておらず、そのような場所でしか談判できなかったという状況に追い詰められていたと位置付けることができる。

歴史に「if」は禁物とされるが、本件が労働組合による団体交渉という形で進められたならば、どうであったかと考えてしまう。それでも会社側が協議を拒否し、または合意を見出す努力をせずに一方的に協議を打ち切った場合は団交拒否となり、不当労働行為となる。元従業員は刑事事件に巻き込まれず、善悪が入れ替わっていた可能性もある。

ここからは労働者にとって労働法が非常に大切であることが理解できる。資本主義社会では司法制度は労働者に必ずしも優しいものではない。それは本判決が葬儀の場で役員が元従業員に殴られた役員の不名誉に重きを置く一方で、解雇された元従業員の「動機に斟酌すべき事情は認められない」と切り捨てている点からも明らかである。労働法の枠組みに立たなければ労働者は不利になる。格差が深刻化する中でプレカリアートの不満や怒りはいつ爆発しても不思議ではないが、労働者が労働法を学び、労働法を武器として戦うことが大切である。

 

不毛な相談に気をつけよう

私は大手不動産会社から新築マンションをだまし売りされ、裁判で売買代金を取り戻した。この経験を書籍『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』として出版したため、不動産トラブルなどの被害者から相談を受けることが少なくない。裁判で勝訴したことの恩返しとして、親身に対応することが私の責任と考えているが、時間の無駄になる不毛な相談もある。本記事では不毛な相談の例を紹介する。

不毛な相談者は説明が要領を得ない。自分が経験したことを全て話さなければ気が済まないため、聞いている側は話の方向性が見えず、苦痛である。悪徳業者とのトラブルであっても、被害者のストーリーは悪徳業者とのやり取りだけでは済まないことが多い。たとえば「役所に行政指導を要請したが、たらい回しにされた」「警察署に詐欺罪の告訴状を提出したが、怠慢な警察官は受理もしなかった」などのサイドストーリーも派生する。

これらの問題も被害者にとっては怒る理由のある問題である。しかし、それらを一緒に説明されると、何が問題なのか焦点がぼやけてしまう。聞く側を無視した自己満足の説明である。この場合は質問をすることで問題を明確化するように努めているが、残念なことに質問への回答もピンポイントではない。「今、何時か」と聞いているのに時計の文字盤の読み方から説明するようなタイプである。

しかも肝心なことは説明しない傾向がある。ある程度話を聞いた上で私が「この場合、○○してはどうですか」と提案する。それに対して「待っていました」とばかりに「実は××なのです」と前提を狂わす説明をする。後出しジャンケンで議論を楽しんでいるような態度である。

実際、彼らはお喋りを楽しんでいるとしか思えない。悪徳商法の被害者にとって、一人で悶々とすることは辛いことである。それよりは他人に相談することは良いことである。しかし、相談しているだけで発散した気分になる人がいることも事実である。実際は何も解決しておらず、泣き寝入りと変わらないにも関わらず、相談しただけで達成感を得てしまう。これは新興宗教が不幸に遭遇した人を信者にするカラクリでもある。

これに対して、私の目的は悪徳業者と闘う人の手助けであり、他人と話して気を紛らわせるだけの闘わない方に時間を割くことは非生産的である。そのような方からの相談には突き放した対応をするようにしている。

 

法律・書評

弁護士なしでの裁判体験談『訴えてやる!』

本書は個人事業主の著者が踏み倒された請負代金を回収するための奮闘記である。著者は書籍の制作を請け負ったが、代金の入金はなかった。催促しても発注者は逃げ回っているばかりである。内容証明郵便を送付しても受け取りを拒否された。そのため、支払督促、訴訟、強制執行と司法手続きによって回収することになる。これらの手続きを弁護士なしの独力で進めたことが本書の特色である。

私は東急不動産(販売代理:東急リバブル)から新築マンションを購入したが、実は不利益事実(隣地建て替え)が説明されない問題物件であった。引渡し後に真相を知り、消費者契約法に基づき売買契約を取り消し、裁判で売買代金を取り戻した経験がある。それ故に著者の経験には大いに共感するところがある。

本書は全部で8章あるが、後半に入る第5章でようやく司法手続き(支払督促)に入る。それまでの章は発注者への督促や法律相談に費やされている。裁判記録として位置付けるならばバランスの悪い構成であるが、一般の人にとって裁判を起こすのはよほどのことであり、そこに至るまでには様々な出来事があることが多い。私自身、不誠実な対応を繰り返された末に東急不動産を提訴している。このため、本書の構成は一般人の裁判記録としては非常にリアリティがある。

本書では支払督促に対し、相手方(発注者)から異議を申し立てられ、簡易裁判所での通常訴訟に移行した。法廷では相手方は「事務所が入居していたビルが差し押さえられた」などの身勝手な言い訳をするのみで、法律的な主張を展開は弱かった。このため、著者の主張に沿った訴訟上の和解があっさりと成立した。この点において本書は、両当事者が法律的な争いを続ける通常の民事訴訟の参考にはならないという限界がある。

本書の醍醐味は法律的な議論よりも、相手方の不誠実や裁判制度の複雑さなど一般人の思いを率直に表現していることである。訴訟上の和解成立後に相手方は「今回はすみませんでした」と謝ってきたという。それに対し、著者は「胸の奥にはまだ田村(注:相手方の社長)に対する怒りがくすぶっていたのだ。割り切った対応をする自身がなく、早く一階に下りて、田村と別れたい。その一心だった」と赤裸々に告白している(119頁)。

私自身、東急不動産の課長から最後に「ご迷惑をおかけしました」と言われ、「東急不動産の不誠実な対応で何倍にも迷惑が増大したのに、今更そのような発言をする資格があるのか」と腸が煮えくり返った思いがある。相手の苦しみに配慮せず、自己満足のためにポーズを取る人間の醜さを見せ付けられた。このように本書は裁判経験のある私にとって大いに共感できる内容である。裁判をしようと考えている方や現に裁判中の方にお勧めの一冊である。

 

梅中伸介

『訴えてやる!』

扶桑社

2007910

 

『女子弁護士 葵の事件ファイル』岩崎健一著

弁護士 法律相談 書評

◇読者レビュー◇ 面白くて、ためになるリーガル小説

本書は弁護士である著者が「面白くて、ためになる」というコンセプトで著したリーガル小説である。「まえがき」によると、小説としての面白さを追求しつつ、法律知識を身につけられるような内容を目指したという。

新米の女性弁護士・日向葵を主人公にし、彼女を通して法律事件を描く。物語は事件毎に一話完結型で展開する。扱われる事件は痴漢冤罪事件、リストラ、架空請求、子の認知、過払い金返還、相続と日常的なものながらも多岐に渡る。

本書では会話文が多用され、法律の説明も依頼者と弁護士、主人公と先輩弁護士の会話を通して行われる。そのため、実用書的な長々とした説明は少ない。

また、主人公は、かんざしがトレードマークで、ケーキに目がなく、演劇スクールに通っているという個性的なキャラクターである。そのため、法律論ばかりの堅苦しいものにならず、気軽に読み進めることができる。

リーガル小説としての本書の特徴は法廷シーンが存在しないことである。法律相談関係の本を書くことが出発点であったこともあるが、法的紛争の大半は裁判に行く前に解決するという実態を反映している。

支払督促を悪用した架空請求に対しては、督促異議申し立て及び強制執行停止申し立てで対抗したが、本書では裁判所に申し立てたところで終わっている。半可通の感覚ならば申し立ては手続きの出発点であり、その後どうなるかが気になるところである。しかし、本書では申し立てにより一先ず安心という形になっている。

ここには早めに弁護士に相談することが成否を分けるという著者の思想がうかがえる。後になって弁護士に相談しても手遅れになってしまうトラブルも存在するためである。反対に適切なタイミングで相談を受ければ、後は単純な手続きで済む。そのような事件が現実の弁護士業務の大半なのだろう。

記者(=林田)は東急不動産(販売代理:東急リバブル)とのマンション紛争で東京高裁まで争った経験がある。東京高裁における訴訟上の和解成立後も和解条項の履行をめぐって紛争が再燃した(参照「東急不動産、「和解成立」後も新たなトラブル」)。

http://www.ohmynews.co.jp/news/20070530/11614

同じ法律紛争でも記者の裁判と本書で扱われた事件では、かなり様相が異なる。記者の裁判では原告(記者)と東急不動産は全面的に対立しており、熾烈な争いになった。また、消費者契約法による不動産売買契約の取消しが認められるかという先例のない分野の裁判であった。弁護士にとっても負担が大きい事件であると言える。

本書は重たい事件や突っ込んだ法廷闘争を期待する向きには不満が残るかもしれないが、裁判を回避できるならば、それに越したことはない。記者の裁判が泥沼化したのも東急不動産の非妥協性、頑迷さが原因であり、他の会社が相手ならば長引かなかった筈である。日常的な法律紛争を大事に至る前に解決の具体的な方策を提示しており、「面白くて、ためになる」というリーガル小説の新分野を狙った著者の試みは成功したと考える。

 

双葉社

2008620日発行

定価1400円(税別)

239

 

『京ガス男女賃金差別裁判 なめたらアカンで! 女の労働』を読んで

本書は京ガス男女賃金差別裁判の原告である著者による男女差別是正の闘いの記録である。同一価値労働同一賃金原則(ペイ・エクイティ)を主張して勝利した京ガス訴訟を中心とする。

著者はガス工事会社の京ガスで働き続けたが、同じ経験や能力、仕事内容であっても、女性である著者と男性従業員との間には厳然たる賃金格差が存在した。同期入社の男性従業員と比較すると、初任給の時点で3万円余りの差があったが、年々格差が広がっていった。

1993年から1998年までの5年間の賃金の差は約635万円にも上る。この差額分を不法行為に基づく損害賠償とし、京ガスに支払いを請求したのが京ガス男女賃金差別裁判である。加えて男女差別により被った精神的苦痛に対する慰謝料も請求した。

一審・京都地裁判決は「原告が女性であることを理由とする差別」と正面から著者の主張を認めた。認容額は低かったものの、紛れもなく勝訴判決である。控訴審・大阪高裁ではジェンダーバイアスの強い裁判官に苦しめられながらも、一審判決をベースとした実質勝訴の訴訟上の和解で終結した。

本書を読むことで、裁判で闘う原告の奮闘が理解できる。とりわけ先例の乏しい分野で勝訴判決を勝ち取ることの並々ならぬ苦労が看取できる。

私も不利益事実(隣地建て替えなど)を説明されずにマンションを購入してしまい、消費者契約法に基づき売買契約を取り消し、裁判によって売買代金返還を勝ち取った経験がある(関連記事参照「マンション販売トラブルで「お詫び」 東急リバブル・東急不動産」)。故に著者の奮闘には大いに共感できる。

http://www.news.janjan.jp/living/0710/0710023335/1.php

著者の経験は労働法の分野のみならず、個人が組織を相手に裁判闘争をする上で有益な示唆が多い。著者の勝因を私の裁判経験も踏まえつつ、闘志、理論、事実の立証の三点から指摘する。

第一に闘志である。裁判は闘争である。闘争とは良くも悪くも世間に波風を立てることである。故に「自ら省(かえり)みて直(なお)くんば、千万人といえども我行かん」の心意気が求められる。

日本人は裁判を避ける傾向があるとされるが、他人の目や批判を過度に恐れる性質があるためである。これに対し、著者は「人が安易に理解することを信じていない」「批判や無理解は人生につきもの」と述解している(212頁)。たとえ孤立しても、自らの権利の救済のために裁判闘争を進めるだけの精神的強さが著者にはある。

実際のところ、京ガスとの闘争は大変なことであった。指名解雇に抗議した著者がビラ配りを始めたところ、自家用車に数十個の生卵をぶつけられるなどの嫌がらせを受けたという(18頁)。

権利侵害に対し、異議を唱えて活動することは当然の権利の筈である。しかし、正義を追求した人が反対に有形無形の嫌がらせを受けてしまうのが陰湿な日本社会の現実である。私自身、東急不動産との裁判中はマンションに怪文書を配布されるなどの被害を受けた。

通常、原告は侵害された権利を回復するために提訴する。従って裁判で主張が全面的に認められたとしても、それは失われた損害を回復するものに過ぎず、それによって利益を得ることにはならない。原告にとっては認められて当然という感覚である。しかし現実には認められるまでに膨大な時間と費用を要し、相手が組織ならば有形無形の嫌がらせまで受ける。

「正当な主張を貫くことで何故、これほどまでに苦労しなければならないのか」という著者の悲痛の思いは本書全体に一貫して流れている。この不合理への憤りには私も大いに共感する。

第二に確固たる理論の存在である。裁判の一義的な目的は法的紛争の解決である。人間の尊厳を回復するための最後の手段として裁判を選択する場合が多いものの、制度面から見た裁判の目的が法的紛争の解決にある点を忘れてはならない。

そのため依拠する法律理論が重要になる。闘志は十分にあり、同情すべき事案であるにもかかわらず、裁判では敗訴してしまう例が少なくないが、これは理論構成が不十分であった可能性が高い。

著者は同一価値労働同一賃金原則(ペイ・エクイティ)を掲げ、決して揺れなかった。著者が厳しい裁判闘争を継続できた要因として、何よりも確固たる理論的支柱を保持していたことが挙げられる。私の東急不動産との裁判でも消費者契約法(不利益事実不告知)に基づく売買契約の取消しという理論構成を貫いた。

京ガス裁判も私の裁判も一審勝訴、控訴審で訴訟上の和解という点が共通する。訴訟上の和解というのは民事訴訟法に規定された訴訟を終了させる形式の一つである。「仲直り」を意味する日常語的な和解とは全く異なる。

「訴訟上の和解」を相手方への妥協や屈服と捉えて忌避する向きもある。それは第一には日常語の和解と混同したためであり、第二にはブレない理論構成を有していない場合に無制限の妥協に陥ってしまったためである。従って、譲れない理論構成を貫き通せるならば、形式的には訴訟上の和解であろうと、胸を張って実質勝訴と宣言できる。

第三に事実の立証である。裁判は事実を法律理論に当てはめて結論を導き出すが、この事実も当事者が主張立証しなければならない。著者が同一価値労働同一賃金原則で勝訴するためには、著者の仕事が男性の仕事と同一価値労働であることを立証する必要がある。

実際のところ、これが難作業であった。「管理職男性と同等価値の仕事をしている」という事実を理解してもらえるまでは想像以上の時間を費やし、苦労したという。女性である著者の担当したガス工事の検収・清算業務は「仕事の価値が低い」という「思い込み」や「イメージ」を弁護団や支援者にも払拭してもらう必要があった(187頁)。

労働者自身が、女性の仕事の価値は男性の仕事よりも低いというイメージに惑わされている現実がある。企業側は社会的な「イメージ」や「思い込み」を操作・利用することで、骨を折らずに否定しようとする。単に「女性事務員の仕事だから」ということで、著者の主張を圧殺しようとする。

私の裁判でも、日照や眺望が阻害されたのが北側の窓であったために、東急不動産は具体的な立証をすることなく、「北側だから大した問題ではない」という態度をとった。これに対し、私は自己の物件で東急不動産(販売代理:東急リバブル)が北側の日照や眺望をセールスポイントとしていたことだけでなく、他の物件でも北向きの住戸を分譲していることを立証した。

当人にとっては分かりきったことかもしれないが、裁判では裁判官に説明する必要がある。よって、きめ細かな主張立証が必要である。一般に日本人は「以心伝心」を好み、それ故に理解されないと安易にコミュニケーションを拒絶してしまう傾向がある。この点、著者は「人が安易に理解することを信じていない」性格であるため、かえって相手の理解が得られるまで説明する、しぶとさを発揮できたのではないかと考える。

本書は男性中心の企業社会に正面から異議を唱え、人間的な労働とは何かをフェミニストの視点から伝えることを意図しているが、同時に個人が組織相手に闘うことの大変さ、不合理な現状も実感できた。これから組織と闘おうとする、又は現に組織と闘っている人にとって闘いの心構えを知ることもできる一冊である。

 

【書評】『千一夜の館の殺人』ありそうでない弁護士探偵

本書(芦辺拓『千一夜の館の殺人』光文社、2009820日発行)は、素人探偵・森江春策シリーズに属する推理長編である。2006年に単行本が刊行され、今回文庫化された。

森江春策シリーズは事件に巻き込まれた弁護士・森江春策が謎解きをする推理小説である。フィクションは現実と非現実の微妙なバランスに醍醐味がある。現実から乖離した物語はリアリティに欠ける。一方で中には小説より奇妙な現実もあるものの、一般的には現実そのものでは面白みに欠ける。

その点、刑事事件中心の弁護士を探偵役とする本シリーズの設定は巧みである。刑事事件を扱う弁護士は高校生や家政婦の探偵に比べて不自然さがない。しかし現実の弁護士は当事者が収集した事実を元に法的主張をまとめることが仕事であり、探偵のように自ら事実を収集することはない。

この点は弁護士への大きな誤解であり、裁判に勝つためには当事者が事実を収集することがポイントになる。これは私自身の不動産売買代金返還の裁判経験から断言できる(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』)。結論として弁護士を探偵役とする設定は「ありそうでない」設定であり、フィクションとして魅力的である。

本作品のタイトル「千一夜の館」からは「館モノ」を想起させる。外部との連絡が取れない館で連続殺人が起こるという展開は推理小説の王道である。しかし、本作品では「千一夜の館」自体が謎であり、関係者や場所を限定する役割を果たさない。そのために読者は最後まで裏切られ続ける。

また、本作品の特徴は作中の話題が豊富であることである。タイトルに「千一夜」とあるとおり、アラビアン・ナイト(千一夜物語)が下敷きになっている。また、天才的な数理情報工学者・久珠場俊隆博士の死が発端であり、博士の遺した量子コンピュータやRSA暗号など最先端のITの話題が登場する。また、博士の莫大な遺産が連続殺人の背景になっており、法定相続人の知識も必要である。さらに殺人事件では茶室の構造がポイントになる。推理小説を一冊書き上げるのに幅広い知識が必要になることを実感した。

 

ネット問題

弁護士の不適切なブログ記事削除要求で被害拡大

インターネットは組織力や資力に欠ける個人に情報発信能力を付与し、大組織の不正を糾弾できるようにした点で大きな功績がある。一方で匿名性を隠れ蓑にしたインターネット上の誹謗中傷の問題が指摘される。本記事では弁護士による不適切なブログ記事削除要求で被害が拡大した事例を紹介する。問題のブログ記事は振り込め詐欺実行グループが殺人及び詐欺で逮捕されたニュースを扱っている。

このブログでは逮捕された容疑者2名と同姓同名の人物が役員を務める企業の「会社概要」を転載している。役員が容疑者と同一人物であるのか、同姓同名の別人であるのかについてブログでは明言していない。しかし、「会社概要」転載部分と振り込め詐欺犯逮捕記事の転載部分を矢印でつなげており、ブロガーに両者を関連付ける意図があったことは明白である。

ブログ記事の「会社概要」転載部分では当該企業の代表取締役社長I氏の氏名もフルネームで掲載されていた。これに対し、I氏はS弁護士を代理人とし、ブログのプロバイダー・シーサー株式会社に「侵害情報の通知書兼送信防止措置依頼書」(以下、通知書)を2009820日付で送付した。

そこでは以下のように主張する。「上記ホームページ(注:ブログ記事)上には申立人(I氏)の名前も記載されており、ホームページを閲覧した者は申立人が上記事件と何らかの関わり合いを持っているかのような印象を持つものである。従って、このようなホームページ上に申立人の名前が記載されていること自体が、申立人の名誉権を侵害するものである。」

これ自体はもっともな主張である。問題は通知書で「発信者へ氏名を開示して差し支えない」としていることである。その結果、シーサーからブロガーにA氏の氏名・住所を含む通知書が転送されてしまった。ブロガーは830日に通知書をブログに掲載し、A氏の氏名・住所もインターネット上に公開された。92日時点でも公開されたままである。ブロガーは指摘箇所を削除したが、文書をそのまま公開し、関連の説明を新たに加えることで被害をさらに広げている。

通知書では「ホームページ上の申立人に関する情報は虚偽であることが明らかであり、発信者において真実であると信じるに足る相当の理由もない」と断じている。S弁護士はブロガーが悪意を持って書いていることを認識していた。それにもかかわらず、発信者への氏名開示を許容した点は大きな失策である。

 

2ちゃんねる削除ルールで仮処分濫用

インターネット掲示板「2ちゃんねる」は匿名で無責任な書き込みがなされる場というイメージが強い。しかし、精緻な「削除ガイドライン」を定めて自主的に運用していることはあまり知られていない。この記事では削除ガイドラインの抜け道を使った削除の問題点について論じる。

「削除ガイドライン」の「9. 裁判所の決定・判決」では「裁判所より削除の判断が出た書き込みは削除対象になります。」と定める。問題は「裁判所の決定・判決」の具体例が「判決・仮処分の決定など」とされ、仮処分決定が判決と同列に挙げられていることである。

仮処分は危機に瀕している権利を保全するために暫定的・仮定的に行われる処分である。たとえば名誉を著しく毀損する書き込みに対し、削除を求める権利がある。しかし、裁判で権利が認められるまでには時間がかかる。その間に問題の書き込みは多くの人の目に触れる可能性がある。そこで仮処分によって暫定的に権利を保全する。

仮処分が認められるためには疎明(一応確からしいとの推測を得られる状態)で足りる(民事保全法第13条)。証明(合理的な疑いを差し挟まない程度に真実と言える状態)しなければ仮処分を得られなければならないとすると、裁判と同じになり、緊急の暫定措置にならないからである。

一方で疎明だけで仮処分が出るということは後日、訴訟で権利が存在しない(問題の書き込みは名誉毀損には該当しない)と判明する可能性も十分にある。この場合は既に仮処分が執行されたことによって、仮処分の相手方(債務者)は大きな被害を受ける。この損害を填補するために仮処分では通常、一定の担保を立てることを条件としている。

このように仮処分はバランスのとれた制度構築がされている。ところが「2ちゃんねる」の「削除ガイドライン」上は仮処分決定があれば削除できる。このため、削除を求める人が書き込み削除の解決策として仮処分を申し立てた事例がある。仮処分決定が出されると、その決定書を提示して削除依頼し、それによって問題の書き込みが削除された。この方法で削除した債権者(仮処分の申立人)に私は会ったことがあるが、その債権者は訴訟を提起する予定も意思もないと断言した。

この削除方法には2点の問題がある。

第1に仮処分を最終的な解決策にしてしまうことである。仮処分は訴訟とは異なり、十分な判断の上でなされるものではない。仮処分を得たからといって権利が認められた訳ではない。

仮処分自体が担保提供を条件とする場合は担保を提供しなければ効力を発生せず、担保を提供し続けなければ効力を維持できない。しかも、仮処分決定は仮に削除するだけであり、本訴で権利が否定されれば書き込みを復活させることもできる。その程度の仮処分で自己の主張を確定的に認めさせ、都合の悪い書き込みを未来永劫削除させようとするのは虫が良すぎる。

第2に仮処分制度が本来予定しない形で利用されることである。仮処分は訴訟の結果を待っていたら手遅れになる場合の仮の制度であり、本訴を前提とする。本訴を予定していないのに仮処分を申し立て、仮処分だけで自己の権利実現を図ることは制度の趣旨から外れる。簡便な削除方法として仮処分制度が悪用されることを懸念する。

 

エクイティ

林田力(東急不動産消費者契約法違反訴訟原告)です。

エクイティの重要性については御主張の通りですが、それは英文契約だけでなく、契約の準拠法を英米法の支配する国の法にした場合は発生すると思います。外資系の日本法人が日本国内で日本企業と取引する場合も米国ニューヨーク州を準拠法とするというような契約を押し付けることがあります。また、反対に英文契約でも日本法に準拠すると定めればエクイティが適用されることはないと思います。但し日本法の下でも解釈の準則として衡平の観念から判断するということはあり得ますので、学んでおくべき概念であることに変わりはありません。

 

Re: 敷金の返還

林田力(東急不動産消費者契約法違反訴訟原告)です。

私の経験は分譲マンションのだまし売りで不動産会社と裁判したものですので、事情が異なりますが、一つだけ申し上げられることは不誠実な業者は裁判にならないならば、デタラメな主張も平気でしてきます。これは相手方に弁護士がいても変わりません。

私のケースは東急不動産(販売代理:東急リバブル)が隣地の建て替えを隠して日照・眺望をセールスポイントとして新築マンションをだまし売りしたものです。それに対して東急不動産の課長は「隣地が建て替えられた方が綺麗になって喜ぶ人もいる」と被害者感情を逆撫でする暴言を吐いて開き直りました。

裁判を経ずに法律に定められた権利を実現することは双方のメリットになる筈です。しかし、裁判をしなければ、まともな話もできない業者や弁護士が存在するのが現実です。それ故に「やると決めたらやったほうがよい」との御意見に賛成です。

 

参政員制度へのエール

代議制民主主義には国民が真の意味で主権者であるのは選挙期間中だけという欠点が存在する。加えて価値観が多様化した現在、少数の政党や候補者が多種多様な人々の政治的意見を集約することには限界がある。

私は東急不動産(販売代理:東急リバブル)から不利益事実(隣地建て替えなど)を隠して新築マンションをだまし売りされ、裁判で売買代金を取り戻した経験がある(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』参照)。そのために不動産問題への関心が高いが、それで候補者や政党を選択することは困難である。その意味で参政員制度は興味深い提言であり、期待している。

 

旧満州(偽満州国)に配属された飛行学生が敗戦直後に「生きて祖国の再建に力を尽くせ」との訓示を受けたという話は知っています。しかし、「君たちのような関東軍の優秀なエリートが、ここに踏みとどまって、非武装の日本人を守ることと、一足早く故国に帰って、日本という国家を復興させることとを比較・較量したとき、後者のほうが日本にとって重要である」と言われていたとは知りませんでした。

「そんな話を得々と講演会でしゃべるでない」との感想には同感です。軍隊は国策に従って満蒙開拓団に参加した人々を「日本にとって重要でない」との理由で切り捨てたことになります。国民にとって国策に従うことほど愚かなことはありません。

ここには反省することなく、前に進むだけの日本のマイナス面が表れています。過去に目を閉ざすものは未来にも盲目になります。過去から教訓や反省点を見いだそうとしない人間は必ず同じ過ちを繰り返します。戦後、日本人はその作業を一切怠ってきました。戦前の日本がいかにダメだったのか反省することさえしませんでした。

平和主義者や9条擁護者に対して楽天的との批判が投げかけられることがあります。しかし、平和主義者や9条擁護者は有事に軍隊が国民を守ってくれると思うほど楽天家ではありません。むしろ、権力の悪を直視するという点で真の平和主義者は冷徹な現実主義者です。

 

 

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